ジョージ・トマス (初代準男爵)
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初代準男爵サー・ジョージ・トマス(英語: Sir George Thomas, 1st Baronet、1774年12月31日没)は、グレートブリテン王国の植民地総督。ペンシルベニア植民地総督、リーワード諸島総督を務めた。
生涯
[編集]ジョージ・トマス大佐(George Thomas、1707年5月13日没、ウィリアム・トマスの次男)と妻(サミュエル・ウィンソープの娘)の間の長男として生まれた[1]。1717年ごろに伯父ウィリアムが死去すると、その遺産を相続した[1]。
1738年から1747年までペンシルベニア植民地総督を[注釈 1]、1752年1月25日[1]から1766年までリーワード諸島総督を務めた[2]。
1751年にヤップトンの地所を購入して[3]、1766年9月6日に準男爵に叙され、同年12月18日にリーワード諸島総督を辞した[2]。
1774年12月31日にロンドンのアッパー・ブルック・ストリートで死去[1]、息子ウィリアムが準男爵位を継承した[2]。
家族
[編集]リディア・キング(Lydia King、ジョン・キングの娘)と結婚して[2]、1男3女をもうけた[4]。
- ウィリアム(1777年12月28日没) - 第2代準男爵[2]
- エリザベス - 生涯未婚[4]
- マーガレット(1797年没) - 1765年12月5日、アーサー・フリーマン(Arthur Freeman、1724年ごろ – 1780年1月30日)と結婚、子供あり[3][4]
- リディア(1794年没) - ジョン・ホワイト(John White、1701年ごろ – 1776年)と結婚、子供あり[3][4]。ジョージ・ホワイト=トマスの母[5]
注釈
[編集]- ^ ペンシルベニア植民地が領主植民地であり、総督が領主の部下であることを示すためにデピュティ・ガバナー(Deputy Governor、副総督)という官職名が使用されている。同時期のペンシルベニア植民地領主はジョン・ペン(在位:1718年 – 1746年)、トマス・ペン(在位:1746年 – 1775年)だった。
出典
[編集]- ^ a b c d "Genealogy of the Thomas Family". Antigua and the Antiguans: A Full Account of the Colony and its Inhabitants from the Time of the Caribs to the Present Day (英語). Vol. 2. London: Saunders and Otley. 1844. Project Gutenbergより。
- ^ a b c d e Cokayne, George Edward, ed. (1906). The Complete Baronetage (1707–1800). Vol. 5. Exeter: William Pollard & Co. p. 141.
- ^ a b c Elwes, Dudley George Cary (1876). A History of the Castles, Mansions, and Manors of Western Sussex (英語). London: Longmans & Co. p. 276.
- ^ a b c d Butler, Alfred T., ed. (1925). A Genealogical and Heraldic History of the Peerage and Baronetage, The Privy Council, and Knightage (英語) (83rd ed.). London: Burke's Peerage Limited. p. 2199.
- ^ Port, M. H.; Thorne, R. G. (1986). "WHITE THOMAS, George (?1750-1821), of Watergate House, nr. Chichester, Suss.". In Thorne, R. G. (ed.). The House of Commons 1790-1820 (英語). The History of Parliament Trust. 2023年12月13日閲覧。
官職 | ||
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先代 ジェームズ・ローガン |
ペンシルベニア植民地総督 1738年 – 1747年 |
次代 アンソニー・パーマー |
先代 ウィリアム・マシュー |
リーワード諸島総督 1753年 – 1766年 |
次代 ジェームズ・ヴァーシルド |
グレートブリテンの準男爵 | ||
爵位創設 | (ヤップトンの)準男爵 1766年 – 1774年 |
次代 ウィリアム・トマス |