ジョージ・ロドニー (第2代ロドニー男爵)
第2代ロドニー男爵ジョージ・ロドニー(英語: George Rodney, 2nd Baron Rodney、1753年12月25日 – 1802年1月2日)は、グレートブリテン王国の貴族、政治家。1780年から1784年まで庶民院議員を務めた[1]。トーリー党所属[2]。
生涯
[編集]ジョージ・ブリッジス・ロドニー(後の初代ロドニー男爵)と1人目の妻ジェーン(Jane、旧姓コンプトン(Compton)、1730年1月11日 – 1757年1月28日、チャールズ・コンプトン閣下の娘[2])の長男として、1753年12月25日にセント・ジョージ・ハノーヴァー・スクエアで生まれた[3]。1766年から1767年までハーロー校で教育を受けた後、1773年にグランドツアーに出た[1]。1773年にエンサインとして近衛歩兵第3連隊に入隊、1777年にlieutenant and captainに、1783年にcaptain and lieutenant colonelに昇進した[1]。
1780年イギリス総選挙において、ノーサンプトン選挙区では母の弟スペンサーの息子にあたるコンプトン卿チャールズ・コンプトンが出馬する予定だったが、コンプトン卿が未成年だったため、代わりに親族にあたるジョージ・ロドニーが出馬した[4]。ロドニーともう1人の候補者であるオールトラップ子爵ジョージ・スペンサーへの反対の声は全くなく、2人は無投票で当選した[4]。
議会ではトーリー党に所属し[2]、ノース内閣(1770年 – 1782年)を支持したほか、1783年2月にシェルバーン伯爵内閣のアメリカ独立戦争予備講和条約に賛成票を投じたが、同年11月にチャールズ・ジェームズ・フォックスの東インド法案にも賛成票を投じた[1]。1784年には第1次小ピット内閣(1783年 – 1801年)を支持したとされる[1]。1784年イギリス総選挙には出馬せず、議員を退任した[4]。
1792年5月24日に父が死去すると、ロドニー男爵位を継承した[3]。同年に軍務から引退した[1]。
1802年1月2日にペンザンス近郊で死去、オールド・オルズフォードで埋葬された[3]。息子ジョージが爵位を継承した[3]。
家族
[編集]1781年4月10日、アン・ハーレー(Anne Harley、1759年5月13日 – 1840年4月14日、トマス・ハーレー閣下の娘)と結婚、9男1女をもうけた[2]。
- ジョージ(1782年6月17日 – 1842年6月21日) - 第3代ロドニー男爵
- トマス・ジェームズ(1784年6月12日 – 1843年10月30日) - 第4代ロドニー男爵
- スペンサー(1785年4月30日 – 1846年5月15日) - 第5代ロドニー男爵
- ロバート(1786年5月14日 – 1826年7月20日) - 1819年7月20日、アン・デネット(Anne Dennett、1824年2月24日没、トマス・デネットの娘)と結婚、子供あり。第6代ロドニー男爵ロバート・デネット・ロドニーの父
- ジェームズ・バークリー(James Berkeley、1789年9月8日 – 1831年12月16日)
- ヘンリー(1790年9月30日 – 1878年12月)
- モーティマー(Mortimer、1791年12月13日 – 1856年3月30日) - 1815年4月27日、サラ・バートン・ウィシー(Sarah Burton Withy、1853年2月25日没、ロバート・ウィシーの娘)と結婚、子供あり
- アン・ジェーン(1793年 – 1833年4月25日) - 1824年1月22日、エドマンド・ポレックスフェン・バスタード(1784年7月12日 – 1838年6月8日)と結婚、子供あり
- ウィリアム・ポウェル(William Powell、1794年7月1日 – 1878年8月27日) - 1824年10月26日、エリザベス・ブラウン(Elizabeth Browne、1804年 – 1888年3月10日、トマス・ブラウンの娘)と結婚、子供あり
- ジョン(1798年3月26日 – 1823年1月4日)
出典
[編集]- ^ a b c d e f Drummond, Mary M. (1964). "RODNEY, George (1753-1802).". In Namier, Sir Lewis; Brooke, John (eds.). The House of Commons 1754-1790 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年1月10日閲覧。
- ^ a b c d "Rodney, Baron (GB, 1782)". Cracroft's Peerage (英語). 20 February 2011. 2021年1月10日閲覧。
- ^ a b c d Cokayne, George Edward, ed. (1895). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (N to R) (英語). Vol. 6 (1st ed.). London: George Bell & Sons. p. 389.
- ^ a b c Brooke, John (1964). "Northampton". In Namier, Sir Lewis; Brooke, John (eds.). The House of Commons 1754-1790 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年1月10日閲覧。
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先代 サー・ジョージ・ロビンソン準男爵 ウィルブラハム・トルマッシュ閣下 |
庶民院議員(ノーサンプトン選挙区選出) 1780年 – 1784年 同職:オールトラップ子爵 1780年 – 1782年 ルーカン男爵 1782年 – 1784年 |
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