ジョージ・ワシントン・アダムズ
ジョージ・ワシントン・アダムズ | |
---|---|
George Washington Adams | |
チャールズ・バード・キングによる肖像画 | |
マサチューセッツ州下院議員 | |
任期 1826年 – 1827年 | |
個人情報 | |
生誕 | 1801年4月12日 プロイセン王国 ベルリン |
死没 | 1829年4月30日(28歳没) |
親 | ジョン・クィンシー・アダムズ ルイーザ・アダムズ |
親族 | アダムズ家 |
教育 | ハーバード大学 |
ジョージ・ワシントン・アダムズ(George Washington Adams, 1801年4月12日 - 1829年4月30日)は、アメリカ合衆国の弁護士、政治家である。第6代アメリカ合衆国大統領のジョン・クィンシー・アダムズの長男である。アダムズはマサチューセッツ州下院議員とボストン市議会員を務めた。28歳で自殺したとみられている。
生涯
[編集]ジョージ・ワシントン・アダムズは1801年4月12日にプロイセン王国の首都ベルリンで名門アダムズ家の一員として生まれた。父は外交官で後の第6代アメリカ合衆国大統領のジョン・クィンシー・アダムズ、母はイギリス生まれのその妻ルイーザ・アダムズであり、長男として誕生した[1][2]。名前は初代アメリカ大統領のジョージ・ワシントンにちなんでいる。祖父は初代アメリカ合衆国副大統領で第2代大統領のジョン・アダムズである。彼は祖父の退任から1ヶ月後に生まれた[3]。
祖母のアビゲイル・アダムズは夫ジョンではなくジョージ・ワシントンの名を付けるという息子の決定に不満を持っていた。彼女はその決定を「判断ミス」「間違っている」と考え、ジョン・アダムズも気分を害したようだと付け加えた[4]。ジョン・クィンシーの二男であるジョン・アダムズ2世(1803年-1834年)はその祖父にちなんで名付けられた。
ハーバード大学で法律を学び、1821年に卒業した。一時的に弁護士として活動した後、マサチューセッツ州下院議会員に立候補した。1826年にマサチューセッツ州下院議会員に当選し、1年間働いた。1828年にはボストン市議会員に就任した[5]。彼は独立記念日演説「An Oration delivered at Quincy, on the Fifth of July, 1824」を行い、後にそれはパンフレットとして出版された[6]。
1829年4月30日、アダムズはボストンからワシントンD.C.に向かう途中、ロングアイランド湾を航行中の蒸気船ベンジャミン・フランクリン号に乗ったまま行方不明となった[7]。彼の遺体は同年6月10日に海岸に打ち上げられた[8][9]。アルコール依存症を患ってた[10]アダムズは自殺をほのめかすメモを残しており[11]、また船上でも船長に岸に戻るように頼んだり、他の乗客が自分に陰謀を企てていると主張したりと妄想に耽っている様子が垣間見られた[12]。当時のニュース記事やその後の歴史家での間でも彼は自殺を図り、ベンジャミン・フランクリン号から飛び降りた後に溺死したという認識で一致している[8][13][14]。
家族
[編集]ジョージ・ワシントン・アダムズとその弟のチャールズとジョン2世は両親の死後にアダムズ家で暮らしていた従妹のメアリー・キャサリン・ヘレン(Mary Catherine Hellen)という女性を取り合うライバル関係であった。1828年にジョン・アダムズ2世がホワイトハウスでメアリー・ヘレンと結婚式を挙げたが、ジョージとチャールズは共に出席を拒否した[15]。
アダムズは愛人のエリザ・ドルフ(Eliza Dolph)とのあいだに婚外子をもうけた[16][10]。ドルフはアダムズ家のボストンの医師のトーマス・ウェルシュの部屋係であった。ドルフは1828年12月に子供を産んだが、アダムズが彼女と赤ん坊と密会できるように別の場所に移された[17]。
家系図
[編集]
|
参考文献
[編集]- ^ Lewis L. Gould, American First Ladies: Their Lives and Their Legacy (2014), p. 47
- ^ Ellis, Joseph J. First Family: John and Abigail Adams. New York: Random House, 2010: 217. ISBN 9780307389992
- ^ McCullough 2001, p. 572.
- ^ “From Abigail Smith Adams to Thomas Boylston Adams, 12 July 1801”. Adams Papers, Massachusetts Historical Society. December 24, 2019時点のオリジナルよりアーカイブ。January 2, 2020閲覧。[This is an Early Access document from The Adams Papers. It is not an authoritative final version.]
- ^ “Massachusetts Historical Society: Adams Biographical Sketches”. www.masshist.org. 2021年8月14日閲覧。
- ^ “Oration-July 5, 1824-Quincy, Massachusetts”. March 15, 2015時点のオリジナルよりアーカイブ。March 12, 2015閲覧。
- ^ Whittemore, Henry (1893). The Past and the Present of Steam Navigation on Long Island Sound. New York, NY: Providence and Stonington Steamship Company. p. 42
- ^ a b Shepherd, Jack, Cannibals of the Heart: A Personal Biography of Louisa Catherine and John Quincy Adams, New York, McGraw-Hill 1980
- ^ “We learn from Mr. Ferris, one of the Hurl Gate pilots, that the body of the late G. W. Adams, son of the late president Adams, was found yesterday afternoon on City Island, directly in front of his door.”. New York Evening Post (New York, NY): p. 2. (June 11, 1829)
- ^ a b “Massachusetts Historical Society: Adams Biographical Sketches”. www.masshist.org. 2021年8月14日閲覧。
- ^ Levy, Debbie (2005). John Quincy Adams. Minneapolis, MN: Lerner Publications. p. 91. ISBN 978-0-8225-0825-0
- ^ Teed, Paul (2006). John Quincy Adams: Yankee Nationalist. Nova Science Publishers. pp. 127–128. ISBN 9781594547973
- ^ Sellers, Charles; Sellers, Charles Grier (1991). The Market Revolution: Jacksonian America, 1815-1846. New York, NY: Oxford University Press. p. 95. ISBN 978-0-19-503889-7
- ^ Niles, Hezekiah (May 9, 1829). “Miscellaneous: Domestic Items; George Washington Adams”. Niles' Weekly Register (Baltimore, MD): p. 164
- ^ Paul C. Nagel, The Adams Women: Abigail and Louisa Adams, Their Sisters and Daughters, 1999, pages 236 to 238
- ^ Kendall, Joshua. “The First Children Who Led Sad Lives”. Smithsonian Magazine. 2021年8月14日閲覧。
- ^ Excerpt from Report of a Trial: Miles Farmer, vs Dr. David Humphreys Storer, April 1830
全般
[編集]- McCullough, David (2001). John Adams. New York: Simon & Schuster. p. 144. ISBN 978-1-4165-7588-7