ジョージ・ヴェーン=テンペスト (第5代ロンドンデリー侯爵)
第5代ロンドンデリー侯爵ジョージ・ヘンリー・ロバート・チャールズ・ウィリアム・ヴェーン=テンペスト(George Henry Robert Charles William Vane-Tempest, 5th Marquess of Londonderry KP、1821年4月26日 – 1884年11月5日)は、イギリスの貴族、保守党の政治家。庶民院議員、ダラム統監を務めた[1]。出生時点の苗字はヴェーン(Vane)で、1823年から1854年までシーハム子爵の儀礼称号を使用した[1]。
領地の面積が50,323エーカーだったが、年収換算では100,118ポンドであり、これは10万エーカー以上の大領地の所有者の多くを超える金額だった[1]。
生涯
[編集]第3代ロンドンデリー侯爵チャールズ・ヴェーンと2人目の妻フランシス・アン・エミリー(1800年1月17日 – 1865年1月20日、第2代準男爵サー・ヘンリー・ヴェイン=テンペストの娘)の息子として、1821年4月26日にウィーンで生まれた[1]。1832年から1834年ごろまでイートン・カレッジで教育を受けた後[1]、1839年6月14日にオックスフォード大学ベリオール・カレッジに入学した[2]。
1845年2月7日に陸軍中尉への辞令を購入してライフ・ガーズ第1連隊に配属された後[3]、1848年5月に陸軍から引退した[4]。その後、ダラム州民兵隊の少佐を経て、1853年5月6日にノース・ダラム民兵連隊の中佐(副隊長)および指揮官に任命された[5]。1852年2月、モンゴメリーシャーの副統監に任命された[6]。
1847年イギリス総選挙で保守党候補としてノース・ダラム選挙区から出馬、無投票で庶民院議員に当選した[7]。1852年イギリス総選挙においても無投票で再選した[7]。
1854年3月6日に父が死去すると、ロンドンデリー侯爵位は異母兄フレデリック・ウィリアム・ロバートが継承したが、従属爵位であるヴェーン伯爵位は特別残余権(special remainder)の規定に基づきジョージが継承した[1]。同年6月28日、女王の認可状を得て苗字を母の旧姓であるヴェーン=テンペストに変えた[1]。
1867年にオックスフォード大学よりM.A.の学位を授与された[2]。同年7月28日にツァールスコエ・セローでイギリス代表としてロシア皇帝アレクサンドル2世にガーター勲章を授与する役割を果たし、ロシアより聖アレクサンドル・ネフスキー勲章大十字を授与された[1]。
1872年11月25日に異母兄が死去すると、ロンドンデリー侯爵位を継承した[1]。1874年8月31日に聖パトリック勲章を授与された[1]。
1883年時点でダラム州に12,823エーカー、モンゴメリーシャーに7,399エーカー、メリオネスシャーに2,685エーカー、ダウン県に23,554エーカー、ロンドンデリー県に2,189エーカー、ドニゴール県に1,673エーカーの土地を所有し、合計で年収100,118ポンドに相当した[1]。これは10万エーカー以上の大領地の所有者の多くを超える金額だった[1]。1880年1月15日から1884年に死去するまでダラム統監を務めた[8][9][10]。
1884年11月5日にモンゴメリーシャーのプラス・マハンレスで病死、マハンレスで埋葬された[1]。息子チャールズ・ステュアートが爵位を継承した[1]。
家族
[編集]1846年8月3日、メアリー・コーネリア・エドワーズ(Mary Cornelia Edwards、1906年9月19日没、初代準男爵サー・ジョン・エドワーズの娘)と結婚[1]、3男3女をもうけた[11]。
- フランシス・コーネリア・ハリエット・エミリー(1850年9月19日 – 1872年3月3日[11])
- チャールズ・ステュアート(1852年7月16日 – 1915年2月8日) - 第6代ロンドンデリー侯爵[1]
- ヘンリー・ジョン(1854年7月1日 – 1905年1月28日) - 生涯未婚[12]
- アヴァリナ・メアリー(Avarina Mary、1857年7月15日 – 1873年6月26日[11])
- ハーバート・ライオネル・ヘンリー(1862年7月6日 – 1921年1月26日) - アバーミュール列車衝突事故で死亡[12]
- アレクサンドリナ・ルイーザ・モード(1863年11月8日 – 1945年7月31日[13]) - 1889年11月12日、初代アレンデイル子爵ウェントワース・ボーモントと結婚、子供あり[12]
出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p Cokayne, George Edward; Doubleday, Herbert Arthur, eds. (1932). The Complete Peerage, or a history of the House of Lords and all its members from the earliest times (Lindley to Moate) (英語). Vol. 8 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press. pp. 115–117.
- ^ a b Foster, Joseph (1888–1892). . Alumni Oxonienses: the Members of the University of Oxford, 1715–1886 (英語). Vol. 4. Oxford: Parker and Co. p. 1398. ウィキソースより。
- ^ "No. 20440". The London Gazette (英語). 7 February 1845. p. 358.
- ^ "No. 20853". The London Gazette (英語). 5 May 1848. p. 1746.
- ^ "No. 21438". The London Gazette (英語). 10 May 1853. p. 1332.
- ^ "No. 21289". The London Gazette (英語). 10 February 1852. p. 375.
- ^ a b Craig, F. W. S. (1977). British Parliamentary Election Results 1832–1885 (英語). London: Macmillan Press. p. 382. ISBN 978-1-349-02349-3。
- ^ Sainty, John Christopher (1979). List of Lieutenants of Counties of England and Wales 1660-1974 (英語). London: Swift Printers.
- ^ "No. 24799". The London Gazette (英語). 9 January 1880. p. 102.
- ^ "No. 25419". The London Gazette (英語). 2 December 1884. p. 5595.
- ^ a b c Lodge, Edmund, ed. (1902). The Peerage and Baronetage of the British Empire as at Present Existing (英語) (71st ed.). London: Hurst and Blackett. pp. 453–454.
- ^ a b c Burke, Sir Bernard; Burke, Ashworth Peter, eds. (1934). A Genealogical and Heraldic History of the Peerage and Baronetage, The Privy Council, and Knightage (英語). Vol. 2 (92nd ed.). London: Burke's Peerage, Ltd. p. 1524.
- ^ Cokayne, George Edward; Hammond, Peter W., eds. (1998). The Complete Peerage, or a history of the House of Lords and all its members from the earliest times (Addenda & Corrigenda) (英語). Vol. 14 (2nd ed.). Stroud: Sutton Publishing. p. 653. ISBN 978-0-7509-0154-3。
外部リンク
[編集]- Hansard 1803–2005: contributions in Parliament by Viscount Seaham
- ジョージ・ヴェーン=テンペスト - ナショナル・ポートレート・ギャラリー
- "ジョージ・ヴェーン=テンペストの関連資料一覧" (英語). イギリス国立公文書館.
グレートブリテンおよびアイルランド連合王国議会 | ||
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先代 ヘッドワース・ラムトン ヘンリー・リデル閣下 |
庶民院議員(ノース・ダラム選挙区選出) 1847年 – 1854年 同職:ロバート・ダンコム・シャフト |
次代 ロバート・ダンコム・シャフト アドルファス・ヴェーン=テンペスト卿 |
名誉職 | ||
先代 第2代ダラム伯爵 |
ダラム統監 1880年 – 1884年 |
次代 第3代ダラム伯爵 |
アイルランドの爵位 | ||
先代 チャールズ・ヴェーン |
ロンドンデリー侯爵 1872年 – 1884年 |
次代 チャールズ・ヴェーン=テンペスト=ステュアート |
イギリスの爵位 | ||
先代 フレデリック・ステュアート |
ヴェーン伯爵 1854年 – 1884年 |
次代 チャールズ・ヴェーン=テンペスト=ステュアート |