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ジョーダン・ファーマー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ジョーダン・ファーマー
Jordan Farmar
引退
ポジション PG
基本情報
愛称 J-Farm
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生年月日 (1986-11-30) 1986年11月30日(38歳)
出身地 カリフォルニア州の旗 カリフォルニア州ロサンゼルス
身長(現役時) 188cm (6 ft 2 in)
体重(現役時) 82kg (181 lb)
ウィングスパン(現役時) 200cm  (6 ft 7 in)
キャリア情報
出身 UCLA
ドラフト 2006年 全体26位
選手経歴
2006-2010
2010-2012
2011
2012-2013
2013-2014
2014-2015
2015
2015-2016
2016
2016
ロサンゼルス・レイカーズ
ニュージャージー・ネッツ
イスラエルの旗 マッカビ・テルアビブBC
トルコの旗 エフェス・ピルゼン S.K.
ロサンゼルス・レイカーズ
ロサンゼルス・クリッパーズ
トルコの旗 Darüşşafaka Spor Kulübü
イスラエルの旗 マッカビ・テルアビブBC
メンフィス・グリズリーズ
サクラメント・キングス
受賞歴
Stats ウィキデータを編集 Basketball-Reference.com
Stats ウィキデータを編集 NBA.com 選手情報 NBA.Rakuten

ジョーダン・ファーマーJordan Robert Farmar 1986年11月30日 - )はカリフォルニア州ロサンゼルス出身のバスケットボール選手。NBAロサンゼルス・レイカーズなどに所属していた。ポジションはポイントガード。188cm、82kg。

経歴

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生い立ち

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ファーマーはアフリカ系アメリカ人の父とユダヤ人の母の間で生まれた。高校時代は2度の転校を経験し、2度目の転校先であるタフト高校では最終学年に27.5得点6.5アシストのアベレージを残し、同校を初のロサンゼルスのタイトルに導いた。ファーマーはロサンゼルスの年間最優秀選手賞を獲得し、USAトゥデイ選出のSuper25やパレード誌選出のオールアメリカンセカンドチームなどに選ばれた。

大学はUCLAに進学。2年目の2005-06シーズンにはオールPac-10チームに選出された。NCAAトーナメントでは準々決勝でアダム・モリソン率いるゴンザガ大学と対戦。終始リードを奪われていたが残り時間17秒で1点差にまで追い上げると、ファーマーはゴンザガから値千金のスティールを決め、そのままチームメイトにアシストパスを送り、チームを大逆転勝利に導いた。UCLAは決勝まで勝ち進んだが、フロリダ大学に敗れた。3年生には進級せず、2006年のNBAドラフトにアーリーエントリーした。

NBA入り後

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ドラフトではファーマーの地元ロサンゼルスのフランチャイズチーム、ロサンゼルス・レイカーズから1巡目26位指名を受けてNBA入りを果たす。ルーキーイヤーとなった06-07シーズンはシーズン中にDリーグ送りになったこともあったが、72試合に出場し、2007年4月1日には午後3時30分開始のDリーグロサンゼルス・ディーフェンダーズの試合に出場すると、今度は4時間後の午後7時30分には同じ会場で行われたレイカーズ対サクラメント・キングス戦に出場し、同じ日にDリーグとNBAでプレイした初めての選手となった。レギュラーシーズンはスマッシュ・パーカーの控えとしてプレイしていたが、プレイオフでは全試合で先発に起用された。

07-08シーズンにデレック・フィッシャーがチームに復帰。以降、ファーマーはフィッシャーの控えとしてプレイし、6thマンとして重要な役割を果たした。 レイカーズで2度の優勝を経験後、09-10シーズン後にニュージャージー・ネッツへ移籍した。

2011年にはイスラエル・バスケットボール・スーパーリーグマッカビ・テルアビブBCで、2012年にはトルコターキッシュ・バスケットボール・リーグエフェス・ピルゼン S.K.でそれぞれプレーした。

2013年7月17日、ロサンゼルス・レイカーズと契約。NBAに復帰した。

2014年7月9日、ロサンゼルス・クリッパーズと契約したが、2015年1月16日に解雇された。

その後再びマッカビ・テルアビブBCなどでプレーした後、2016年3月20日、メンフィス・グリズリーズと契約した[1]

2016年9月13日、サクラメント・キングスと契約した[2]が、10月24日に解雇されるも、11月2日にダレン・コリソンの開幕から8試合の出場停止処分によるポイントガードの層の薄さを補う特別救済条項を行使し、キングスが呼び戻した[3]

脚注

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外部リンク

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