スタニスラフ・ウラジミロヴィチ
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スタニスラフ・ウラジミロヴィチ(ロシア語: Станислав Владимирович、984年から987年 - 1015年?[1])は、ウラジーミル1世の子である。スモレンスク公:988年頃 - 1015年?[1]。
ウラジーミル1世が洗礼を受けた際に、共に洗礼をうけた12人の子の一覧の中の、最後から3番目に名前が挙げられているのが唯一の記述であり[2]、ここから彼はウラジーミル1世の末子だと推測されている。(12人の子が列挙されていることに関して、スタニスラフは、聖数とされた12にあわせるために意図的に組み込まれた可能性がある、という指摘もある[3]。)なお、リューリク朝の中でスタニスラフという名を持つ人物は彼のみである。
スタニスラフはおそらく984年から987年の間に生まれた。後世の『ニコン年代記』によれば、988年ごろにスモレンスクを受領した。そして、父に先立ち1015年以前に死去したと考えられている。
出典
[編集]- ^ a b Войтович Л. Княжеские династии Восточной Европы (конец IX — начало XVI в.).
- ^ 國本哲男『ロシア原初年代記』134頁
- ^ 國本哲男『ロシア原初年代記』404頁
参考文献
[編集]- ПСРЛ, т. 2. Ипатьевская летопись. Фототип. изд. 1908 г. — М., 1962. — XVI 938 стб. 87 с. IVc.
- ПСРЛ, т. 9. Патриаршая, или Никоновская летопись. Ч. 1. — СПб., 1862. — 256 с.
- Карпов А. Ю. Владимир Святой. — М.: Молодая гвардия — ЖЗЛ; Русское слово, 1997.
- 國本哲男他訳 『ロシア原初年代記』 名古屋大学出版会、1987年。