モリッシー
モリッシー | |
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基本情報 | |
出生名 | スティーヴン・パトリック・モリッシー |
生誕 | 1959年5月22日(65歳) |
出身地 | イングランド・マンチェスター |
ジャンル | |
職業 | |
担当楽器 | ボーカル |
活動期間 | 1977年 - |
レーベル | |
共同作業者 |
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公式サイト | モリッシー 公式サイト |
スティーヴン・パトリック・モリッシー(英語: Steven Patrick Morrissey、1959年5月22日 - )は、イギリスのシンガーソングライター。
1980年代にザ・スミス(1982年 - 1987年)のボーカリストとして、マーガレット・サッチャー政権下で不況に喘ぐ若者たちに絶大な人気を博した。バンド解散後はソロ活動を続けている。
「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第92位。「Q誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第30位[4]。
来歴
[編集]ザ・スミス時代
[編集]ザ・スミス解散後
[編集]モリッシーはザ・スミス解体後、間を置かずソロでの制作を開始した。バンドの解散からわずか半年後にスミスのアルバム『ストレンジウェイズ、ヒア・ウイ・カム』のプロデューサー・スティーヴン・ストリートと、ザ・ドゥルッティ・コラムのギタリストで同じマンチェスター出身のヴィニ・ライリーと共にアルバム『ビバ・ヘイト』をリリース。「憎悪万歳」というタイトルはザ・スミス末期の状況に言及したものである[5]。このアルバムは、チャート1位を獲得した。
ディスコグラフィー
[編集]*日付は英国での発売日を示す。「英」とはイギリスの「UK Albums Chart」の、「米」はアメリカの「Billboard 200」の、「日」は「オリコン・アルバムチャート」におけるチャートの最高位を示す。「ゴールド等認定」については、イギリスの「BPI」における記録である。
スタジオ・アルバム
[編集]年 | アルバム | 英 | 米 | 日 | ゴールド等認定・備考 | |
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1 | 1988 | ビバ・ヘイト Viva Hate
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1 | 48 | 65 |
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2 | 1991 | キル・アンクル Kill Uncle
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8 | 52 | 58 |
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3 | 1992 | ユア・アーセナル Your Arsenal
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4 | 21 | 71 | |
4 | 1994 | ヴォックスオール・アンド・アイ Vauxhall and I
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1 | 18 | 98 |
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5 | 1995 | サウスポー・グラマー Southpaw Grammar
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4 | 66 | 38 |
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6 | 1997 | マルアジャスティッド Maladjusted
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8 | 61 | - | |
7 | 2004 | ユー・アー・ザ・クワーリー You Are the Quarry
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2 | 11 | 140 |
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8 | 2006 | リングリーダー・オブ・ザ・トーメンターズ
Ringleader of the Tormentors
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1 | 27 | 139 |
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9 | 2009 | イヤーズ・オブ・リフューザル Years of Refusal
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3 | 11 | 110 | |
10 | 2014 | ワールド・ピース・イズ・ノン・オブ・ユア・ビジネス〜世界平和など貴様の知ったことじゃない World Peace Is None Of Your Business
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2 | 14 | 74 | |
11 | 2017 | Low in High School
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5 | 20 | - | |
12 | 2019 | California Son
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4 | 95 | - | |
13 | 2020 | I Am Not a Dog on a Chain
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3 | - | - |
ライブ・アルバム
[編集]年 | アルバム | 英 | 米 | 日 | ゴールド等認定 | |
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1 | 1993 | ベートーベン・ワズ・デフ Beethoven Was Deaf
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13 | - | - | |
2 | 2005 | ライヴ・アット・アールズ・コート Live at Earls Court
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18 | 119 | - |
コンピレーション・アルバム
[編集]年 | アルバム | 英 | 米 | 日 | ゴールド等認定・備考 | |
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1 | 1990 | ボナ・ドラッグ Bona Drag
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9 | 59 | 74 |
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2 | 1995 | ワールド・オブ・モリッシー World of Morrissey
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15 | 134 | - | |
3 | 1997 | ザ・ベスト・オブ・モリッシー Suedehead: The Best of Morrissey
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25 | - | - |
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4 | 1998 | My Early Burglary Years
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- | - | - |
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5 | 2000 | The CD Singles: '88- '91
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- | - | - |
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6 | The CD Singles: '91- '95
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- | - | - |
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7 | 2001 | The Best of Morrissey
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8 | 2008 | モリッシー★グレイテスト・ヒッツ Greatest Hits
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5 | 178 | 221 |
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映像作品
[編集]- ヒューメリスト HULMERIST (1990年)
- シング・ユア・ライフ Sing Your Life (1991年)
- ザ・マラディー・リンガーズ・オン The Malady Lingers On (1992年)
- ライヴ・イン・ダラス Live In Dallas (1993年)
- イントロデューシング・モリッシー Introducing Morrissey (1996年)
- オイ・エステバン Oye Esteban (2000年)
- フー・プット・ジ M イン・マンチェスター? Who Put the M in Manchester? (2005年)
コラボレーション
[編集]他ミュージシャンへの評価
[編集]モリッシーは、その知名度に、他ミュージシャンへの批評で知られる(交友関係が深い一部のミュージシャンもいる)。
- 「横柄なセックス・ピストルズは、調子っぱずれの音楽とかろうじて聴き取れる歌詞にもかかわらず、ライヴを観に来たわずかな客を会場の通路で踊らせた。僕は彼らが成功するのを見たい。成功すれば、彼らもあの“ベッドから抜け出したような小汚い衣装”を買い換える事ができるんじゃないだろうか?って思う」
- 「ザ・キュアーは『クソ』という言葉の新たな代名詞」で、ロバート・スミスについて「文句ばかり言う奴」と非難した。
- (音楽トーク番組『エイト・デイズ・ア・ウィーク』において)「ジョイ・ディヴィジョンはそこまで意識していたバンドというわけでもなかったが、今は彼らの良さがわかるね」
- VH1の視聴者投票で、U2の『One』が、2位のスミスの『How Soon Is Now?』を破って英国最高の歌詞に選ばれたことについて、マンチェスターで行われたコンサートで、「新聞によるとソングライターとしての才能は僕よりボノが上だとさ。まあ、彼はすごいのかもな。でも誰が本気でそう思っているんだろう?」と辛辣に言い放っている。
- 「彼らの洗練されたナンセンスは、彼らがどれほど浮かれて想像力に欠けてるかを強調する事に成功している」
- 「彼は常に全力で自分の私的な生活について話してくる。誰も興味を持っていないのにな。どこかに行ってしまえばいいと思う」「エルトン・ジョンの生首を僕に献上してくれ……これは唯一、非『ミート・イズ・マーダー』的行為だ。もし彼の首が皿に乗って供されればね」
- 「マドンナはすべてを馬鹿げた不快なものにする力があるよ。どうしようもない程に女らしい。マドンナは他の何よりも管理売春に近い存在だ」
- 「彼らは僕にはとっても退屈なんだ。ノエルに神の御加護を。彼は『ボブズ・フル・ハウス(イギリスのクイズ番組)』にいつでも出られそうだけど、もう少し反抗や怒りのある何かをあいつには求めているよ」
- 「現在サイはほぼ絶滅しそうだが、これは地球温暖化や生息地の縮小のせいじゃない。ビヨンセのハンドバッグが原因だ」
- 「ザ・ラモーンズは、意義や重要性が皆無であり、何も言う事はないし、さっと綺麗に忘れ去られるべきだ」(ただし、モリッシーは後述の通り、好きなアルバムにラモーンズを挙げており、ライヴでもカヴァーしている)
- (文通相手に対して)「驚きはしないが、本当にケイト・ブッシュの事が良いと思うのか? 僕が彼女について最も良いと思うところといったら、我慢できないところだ。あの声!あんなのはゴミだ!坊やもいずれわかるだろう」
- 「エアロスミスは、ストーンズを年金暮らしにさせるインパクトと冬を越えるまでバンドが続くための濃いメイクが特徴だが、アメリカのダンス・シーンのバンドの一つに過ぎない。彼らの音楽はごちゃごちゃした混乱の類で、ヴォーカルのスティーヴン・テイラーは、マイクで歯を磨こうとしてるようにしか聴こえない」
- (亡くなったプリンスに対して)「プリンスは長年のヴィーガンであり、畜殺場の全廃を強く訴えてきた提唱者だ」「エリザベス2世よりずっと『ずっと王家らしく気高い』存在であり、彼女よりはるかに哀悼されるだろう」
- (自身がアークティック・モンキーズの成功を批判した事を批判された際に)「<South By Southwest>でアークティック・モンキーズについて語った事が、NMEやThe Timesで手厳しく報道されたのは遺憾だ。僕はアークティック・モンキーズをとても気に入っているし、あの発言は親切心から懸念を口にしただけ。何であれ、彼らの成功を突然すぎるとか、何の下積みもないって事を僕が言うのは間違っていた。スミスにも全く同じ事が起こったんだから。僕が言うべき事じゃないね」
- (亡くなったリードに対して)「ルー・リードの死に対する悲しみを表す言葉はない。彼は僕の生涯ずっとそこにいたんだ。彼はこれからも僕の心に迫り続けるだろう」
- 「彼が歯も磨かずに、普段着のままステージに上がる姿はかっこいいと思う。僕には絶対そんな事は出来ないからね」「マイケルの声はとても田舎じみたジョン・デンバーのようだ。実際彼の本名は『ジョン』だった」
人物
[編集]- 菜食主義者(ベジタリアン)として有名で、2010年9月に中国人は動物虐待を行う劣等人種と雑誌に対してコメントしている[7]。この発言に対しては批判が殺到したが、モリッシーは発言の撤回を拒否し「中国の動物虐待は全世界で最悪だ」と反論した[8]。
- ロックバンド・ニューヨーク・ドールズの大ファンで、ザ・スミス結成以前はファンクラブのイギリス支部長を務めていたほどである。2004年の再結成はモリッシー自らの働きかけによるもの。
- お気に入りのアルバムに、ジョブライアスの『Jobriath』、ジェフ・バックリィの『Grace』、スモーキング・ポープスの『Born To Quit』、ダミアン・デンプシーの『Seize The Day』、ロキシー・ミュージックの『フォー・ユア・プレジャー』、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの『ヴェルヴェット・アンダーグラウンド・アンド・ニコ』と『ホワイト・ライト/ホワイト・ヒート』、スパークスの『Kimono My House』、イギー&ザ・ストゥージズの『Raw Power』、ニコの『Chelsea Girl』、パティ・スミスの『ホーセス』、ラモーンズの『ラモーンズの激情』、ニューヨーク・ドールズの『New York Dolls』を挙げている。上記のミュージシャンのうち後進は、バックリィとポープス、デンプシーであり、バックリィはザ・スミスの楽曲をカバーし、ポープスはザ・スミスからの音楽的影響を公言している。
- ザ・スミスとニュー・オーダーは同じマンチェスター出身のバンドだが、モリッシー自身はニュー・オーダーについて「全く興味がない」「僕の心に何も響かない」といった発言をしている。これはライバル心等からではなく、本当に興味の対象外であったゆえの発言であった。ちなみに、ジョニー・マーはニュー・オーダーの楽曲を聴いており、ザ・スミス解散後の1989年にはニュー・オーダーのバーナード・サムナーとエレクトロニックを結成している。
- 飛行機嫌いとして有名だが、1991年と1995年に来日公演を行なっている。また、2002年の「サマーソニック」でも来日し、インドアステージ(後のマウンテンステージ)のトリをつとめた。2004年の「フジ・ロック・フェスティバル」でも参加が予定されていたが、直前になってキャンセルしている。
- 2004年6月11日から同年6月27日まで、ロンドンで開催されたフェスティバル「MELTDOWN」のディレクターを務めた。
- ザ・スミス時代は概ねジーンズを着用していた。モリッシーのジーンズのヒップポケットに挿される花はグラジオラス。
- 「タコ踊り」と呼ばれる腰を曲げる動きが特徴だった。「ハウ・スーン・イズ・ナウ?」(1985年)のミュージック・ビデオで披露している。
- かつては政治的左派として知られていたが、近年は右派のナイジェル・ファラージや、反イスラム政党「フォー・ブリテン」への支持を表明している[9]。
関連書籍
[編集]- モリッシー詩集 (中川五郎訳、シンコー・ミュージック刊、1992年)
- クイーン・イズ・デッド モリッシー発言集 (ジョン・ロバートスン著、柳下毅一郎訳、JICC出版局刊、1992年)
- モリッシー&マー・茨の同盟 (ジョニー・ローガン著、丸山京子訳、シンコー・ミュージック刊、1993年)
- ザ・スミス/モリッシー&マー 全曲解説 (ジョニー・ローガン著、丸山京子訳、宮子和眞監修、シンコー・ミュージック刊、1997年)
- ザ・スミス・ファイル (シンコー・ミュージック刊、2003年)
- モリッシー自伝 (モリッシー著、上村彰子訳、イースト・プレス刊、2020年)
日本公演
[編集]1991年
- 8月27日 福岡 サンパレス
- 8月28日 大阪 大阪城ホール
- 9月1日 名古屋 センチュリーホール
- 9月2日 東京 日本武道館
- 9月3日 神奈川 横浜アリーナ
1995年
- 12月13日 東京 新宿リキッドルーム
- 12月14日 神奈川 クラブチッタ川崎
- 12月16日 東京 恵比寿ガーデンホール
- 12月17日 東京 東京ベイNKホール
2002年
- 8月17日 大阪 サマーソニック・フェスティバル
- 8月18日 東京 サマーソニック・フェスティバル
2012年 <Morrissey Japan Tour 2012>
- 4月19日 仙台 Zepp Sendai
- 4月21日 川崎 Club Citta’
- 4月23日 東京 Zepp Tokyo
- 4月24日 東京 Zepp Tokyo
- 4月26日 福岡 Zepp Fukuoka
- 4月27日 広島 Blue live
- 4月30日 大阪 Zepp Namba
- 5月2日 名古屋 Zepp Nagoya
- 5月3日 東京 恵比寿ガーデンホール
2016年 <Morrissey Japan Tour 2016>
- 9月28日 東京 Bunkamuraオーチャードホール
- 9月29日 東京 Bunkamuraオーチャードホール
- 10月1日 神奈川 横浜ベイホール ※当日キャンセル
- 10月2日 大阪 IMPホール
脚注
[編集]- ^ a b c Huey, Steve. Morrissey | Biography & History - オールミュージック. 2021年5月1日閲覧。
- ^ Hughes, Josiah (2014年1月3日). “Morrissey Working on New Album and Novel”. Exclaim!. 2021年5月1日閲覧。
- ^ Timberg, Scott (2009年4月14日). “Morrissey and the Smiths' influence is apparent”. Los Angeles Times 2021年5月1日閲覧。
- ^ “Rocklist.net...Q Magazine Lists..”. Q - 100 Greatest Singers (2007年4月). 2013年5月21日閲覧。
- ^ Viva Hate - Morrissey | AllMusic
- ^ “Interlude (Morrissey with Siouxsie)”. Passionsjustlikemine.com. 1-09-2018時点のオリジナルよりアーカイブ。21-08-2018閲覧。
- ^ Alexandra Topping (2010年9月3日). “Morrissey reignites racism row by calling Chinese a 'subspecies'”. theguardian.com. 2021年6月10日閲覧。
- ^ 英国人歌手「中国人は劣等人種」発言で非難殺到
- ^ https://nme-jp.com/news/75601/
参考文献
[編集]- 新谷洋子「モリッシー 『ヴォックスオール・アンド・アイ』」花の絵 2014年5月29日
- 上村彰子「お騒がせモリッシーの人生講座」2018/7/15
外部リンク
[編集]- It's Morrissey's World official site