コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ストラタジェム (潜水艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
HMS ストラタジェム
マージー川を航行中の「ストラタジェム」 (1944年9月撮影)
マージー川を航行中の「ストラタジェム」
(1944年9月撮影)
基本情報
建造所 バーケンヘッドキャメル・レアード
運用者  イギリス海軍
級名 S級潜水艦
艦歴
発注 1941年8月3日
起工 1942年4月15日
進水 1943年6月21日
就役 1943年10月9日
最期 1944年11月22日に戦没
要目
満載排水量 865ロングトン (879 t)(水上)
990ロングトン (1,010 t)(水中)
全長 217 ft (66 m)
最大幅 23 ft 9 in (7.24 m)
吃水 14 ft 8 in (4.47 m)
主機 海軍本部式ディーゼル機関 1,900馬力×2基
電動機1,300馬力×2基
推進器 2軸推進
最大速力 15ノット (28 km/h; 17 mph)(水上)
10ノット (19 km/h; 12 mph)(水中)
航続距離 6,000海里 10ノット時(水上)
120海里 3ノット時(水中)
潜航深度 300フィート (91.4 m)
乗員 48名
兵装 21インチ(533mm)艦首魚雷発射管×6門(内蔵式6門)
21インチ(533mm)艦尾魚雷発射管×1門(外装式1門)
魚雷13本
3インチ単装砲×1門
20ミリ単装機銃×1門
7.7ミリ単装機銃×3基
レーダー 291型英語版レーダー
ソナー 129型AR型または138型ASDIC
その他 ペナント・ナンバー:P234
テンプレートを表示

ストラタジェム (HMS Stratagem, P234) は、イギリス海軍潜水艦S級潜水艦第3グループの1隻。

艦名は「戦略策略」という意味の名詞に由来し、イギリス海軍においてこの名を持つ唯一の艦である[1]。艦名を反映し、本艦の船紋章英語版は「トロイの木馬」であった[2]

艦歴

[編集]

「ストラタジェム」は1941年度計画に基づき1941年8月3日にバーケンヘッドキャメル・レアードへ発注され、1942年4月15日起工、1943年6月21日進水し、1943年10月9日に初代艦長レジナルド・ルイス・ウィロビーRNR大尉の指揮の下就役した[3]

最初の哨戒

[編集]

ホーリー・ロッホで整調中、右舷ディーゼル機関に不調が発見され修理を行った。クライドアローチャー英語版等いくつかの港湾で試験や演習を行った後、「ストラタジェム」は1944年1月3日にスコットランドラーウィックから最初の哨戒に出た。この哨戒の目的は、ノルウェー沖でのUボート捜索であった。しかし、会敵はないまま1月15日にラーウィックへ帰還した[3]

2回目の哨戒

[編集]

シェアーネス英語版ポーツマスでの入渠後、「ストラタジェム」は3月27日に艦長となったクリフォード・レイモンド・ペリー大尉の指揮の、3月31日にプリマスからジブラルタルへ向かった。2回目の哨戒でも会敵はなく、4月14日ジブラルタルへ到着。姉妹艦「シックル英語版」と「スピリット英語版」と共に、4月18日「ストラタジェム」は輸送船団USG38船団に加入してマルタへ移動、そこで対潜演習に参加した[3]

引き続き「ストラタジェム」は東進を続け、5月16日ポートサイド着。さらにスエズ運河を通過して紅海、そしてインド洋へ入り、アデンを経由して6月10日にセイロン島 トリンコマリーへ到着した[3]

3回目の哨戒

[編集]

イタリア海軍通報艦エリトリア」等との演習後、「ストラタジェム」は6月27日にトリンコマリーを出撃し、極東では初となる3回目の哨戒に向かった。7月1日、「ストラタジェム」はポートブレア北緯11度36分 東経92度50分 / 北緯11.600度 東経92.833度 / 11.600; 92.833魚雷艇2隻と対潜トロール船1隻に護衛された1,100トン級輸送船を発見し、魚雷4本を発射して爆発音を聴取したが実際は命中していなかった。魚雷艇からの爆雷による反撃があったが被害はなかった[3]

7月2日、「ストラタジェム」は北緯11度37分 東経92度54分 / 北緯11.617度 東経92.900度 / 11.617; 92.900地点でポートブレアから出港してきた2,000トン級商船と護衛の駆潜艇2隻を発見。魚雷6本を発射したが、魚雷はすべて外れて陸地に当たり爆発した。7月4日、大雨の中北緯09度22分 東経92度40分 / 北緯9.367度 東経92.667度 / 9.367; 92.667地点で同じ商船を発見し魚雷2本を発射したが、こちらも爆発音を聴取したものの実際は命中していなかった。戦果がないまま「ストラタジェム」は7月7日にトリンコマリーへ帰投した[3]

4回目・5回目の哨戒

[編集]

駆逐艦との対潜演習後、7月31日に「ストラタジェム」はトリンコマリーから4回目の哨戒に向かった。今回の目的地はタイ西岸であったが、会敵はなく8月22日にトリンコマリーへ帰還した[3]

試験と演習後、1944年9月16日に「ストラタジェム」は5回目の哨戒に出撃する。艦長ペリー大尉が休暇中であったため、この哨戒では臨時にアンソニー・ロバート・プロフィット大尉が代わって指揮を執った[3]。9月30日、「ストラタジェム」は大ココ島英語版のフォード湾に浮上して島の建物や倉庫に艦砲射撃を行った。その後、10月5日にトリンコマリーへ帰還して哨戒を終えた[3]

6回目の哨戒・最期

[編集]

11月10日、トリンコマリーを出撃した「ストラタジェム」は復帰したペリー大尉の指揮の下でマラッカ海峡へ6回目の哨戒に向かう。ここで「ストラタジェム」は生涯において最初で最後となる戦果を得ることになった。11月19日、「ストラタジェム」はマラッカ海峡の北緯09度22分 東経92度40分 / 北緯9.367度 東経92.667度 / 9.367; 92.667地点でシンガポールからスマトラ島パンカランススへ航行中の商船5隻と護衛の「第三十四号駆潜艇」からなる輸送船団を発見。そのうち、応急タンカー「日南丸」(日東洋行、1,945トン)に雷撃を行い沈めた[3][4]

1944年11月22日、「ストラタジェム」は日本の水上機に発見され、駆け付けた駆潜艇「第三十五号駆潜艇」の爆雷攻撃を受けた[5]。最初の爆雷攻撃で「ストラタジェム」の艦首は海底に衝突し、浸水が発生。前方の水密隔壁を閉鎖できず浮上を余儀なくされた。乗員は「ストラタジェム」を自沈させ、減圧症に苦しみながらも脱出した10名が「第三十五号駆潜艇」に救助されて捕虜となり、シンガポールへ移送された。しかし、10名のうち9ヶ月後の終戦まで生き残ることができたのは3名に過ぎなかった[3][5][6]

脚注

[編集]
  1. ^ J. J. Colledge; Ben Warlow (2010). Ships of the Royal Navy: The Complete Record of all Fighting Ships of the Royal Navy from the 15th Century to the Present. Newbury, Berkshire: Casemate. p. 385. ISBN 978-1935149071 
  2. ^ HMS Stratagem, Royal Navy.jpg”. heraldry-wiki.com. 12 May 2024閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h i j k HMS Stratagem (P 234)”. uboat.net. 12 May 2024閲覧。
  4. ^ 日南丸の船歴”. 大日本帝國海軍特設艦船. 12 May 2024閲覧。
  5. ^ a b Bob Hackett、Sander Kingsepp. “IJN Subchaser CH-35:Tabular Record of Movement”. combinedfleet.com. 12 May 2024閲覧。
  6. ^ Akermann, p. 245

参考文献

[編集]
  • Akermann, Paul (2002). Encyclopaedia of British Submarines 1901–1955 (reprint of the 1989 ed.). Penzance, Cornwall: Periscope Publishing. ISBN 978-1-904381-05-1 
  • Bagnasco, Erminio (1977). Submarines of World War Two. Annapolis, Maryland: en:Naval Institute Press. ISBN 978-0-87021-962-7 
  • Chesneau, Roger, ed (1980). Conway's All the World's Fighting Ships 1922–1946. Greenwich, UK: en:Conway Maritime Press. ISBN 978-0-85177-146-5 
  • Heden, Karl Eric (2006). Sunken Ships, World War II: U.S. Naval Chronology Including Submarine Losses of the United States, England, Germany, Japan, Italy. History Reference Center: Branden Books. ISBN 0828321183