加藤督朗
基本情報 | |
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通称 | スネーク加藤 |
階級 |
ライト級 スーパーライト級 ウェルター級 |
身長 | 1.84 m (6 ft 1⁄2 in) |
体重 | 68キログラム (150 lb) |
国籍 | 日本 |
誕生日 | 1978年9月28日(46歳) |
出身地 | 東京都墨田区 |
スタイル | キックボクシング、空手 |
プロキックボクシング戦績 | |
総試合数 | 43 |
勝ち | 22 |
KO勝ち | 16 |
敗け | 17 |
引き分け | 4 |
加藤 督朗(かとう まさあき、1978年(昭和53年)9月28日 - )は、日本の男性元キックボクサー。東京都墨田区出身。PHOENIX主宰。スネーク加藤のリングネームで知られる。元WPMF世界ウェルター級王者。
来歴
[編集]幼少期
[編集]1994年(平成6年)6月、15歳で士道館扇橋道場の革命塾に入門。アマチュア制がなかったため、高校生にしてフェザー級でプロの試合に出る。しかし、5戦して4敗1分と1度も勝てなかったため、士道館総本部道場の若虎寮に入寮してキック漬けの毎日を送る。6戦目の三津山文朗戦で初勝利を飾り、「スネーク」のあだ名を授かる。
以後ジュニアライト級に転向。さらに1997年(平成9年)11月22日のエスィー樋口戦でライト級に転向すると、1998年(平成10年)1月の初代MA日本ジュニアライト級王座決定トーナメントに出場。しかし、1回戦で山崎道明に5R判定で破れる。同年10月25日にMA日本スーパーフェザー級暫定王者決定戦で天野哲成と対戦するが、5R判定3-0で敗れる。
日本王座獲得
[編集]暫定王座決定戦に敗れた後、2戦を挟んで1999年(平成11年)6月18日にMA日本ライト級王座決定戦に出場。井上哲に5R判定3-0で勝利し、第12代MA日本ライト級王座を戴冠する。その3か月後に士道館を退館し、同時に王座も返上するとタイに渡る。
南太平洋王座獲得
[編集]2001年(平成13年)7月にオーストラリアでWMTAサウスパシフィック(南太平洋)スーパーライト級王座決定戦に出場する。当初はISKAの世界タイトル王座決定戦でシャノン・フォレスターと対戦する予定だったが、加藤がISKAの世界ランカーでなかったことが問題になり世界戦は認められなくなったため、南太平洋人でないにもかかわらず、WMTAの南太平洋王座に挑戦することになった。結果はフォレスターに勝利を収め、南太平洋王座を獲得した。
世界王座初挑戦
[編集]タイのパタヤで「ISSムエタイチャレンジ 2002 チャンピオン決定戦」に出場。ローレック・ゲーンノラシンに2RKO負けし、王座挑戦に失敗した。
2002年4月、清水貴彦にドロー。
2002年12月、チッチャイ・サッパンニーにTKO勝ち。
2003年6月、宍戸大樹に判定負け。2003年、浜川憲一にKO勝ち。2003年11月。山本優弥にミドルキック1発でダウンした後、追撃のサッカーボールキックをもらい、58秒KO負け。※何故か山本の反則負けにならず。
世界王座獲得
[編集]2004年1月、サムゴー・ギャットモンテープに判定負け。
2004年(平成16年)4月27日に、タイのルンピニー・スタジアムでWPMF世界ウェルター級王者決定戦に出場し、ガオラン・カウイチットと対戦。2R目に肘打ちで顔面を斬った後、膝で顔を蹴り上げダウンを奪い、そのままKO勝ちになった。同年7月にルンピニー・スタジアム認定ウェルター級ランキング1位に認定された。
2004年7月、ジャン・スカボロスキーにKO負け。
引退
[編集]2004年11月28日のキエラン・ケッドル戦をもって引退。試合は5R判定3-0で勝利を収めた。現在は加藤自身の開いたキックボクシング&フィットネスジム「PHOENIX」で会長を務め、会員に指導している。
獲得タイトル
[編集]戦績
[編集]- プロキックボクシング: 40戦 19勝 14KO 17敗 4分
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]前王者 武藤隆行 |
第12代MA日本ライト級王者 1999年6月18日 - 1999年 |
次王者 井上哲 |