スプリングフィールドM1870
スプリングフィールドM1870 | |
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種類 | 後装式ライフル銃 |
製造国 | アメリカ合衆国 |
設計・製造 |
アースキン・S・オーリン スプリングフィールド造兵廠 |
年代 | 19世紀中ごろ |
仕様 | |
種別 | 軍用小銃 |
口径 | 50/70口径(12.7mm) |
銃身長 | 32.5インチ |
使用弾薬 | .50-70ガバメント弾 |
装弾数 | 1発 |
作動方式 | ヒンジ式、回転式尾栓 |
全長 | 52インチ(1300mm) |
発射速度 | 8~10発/分 |
歴史 | |
設計年 | 1870年 |
製造期間 | 1870年~1873年 |
配備先 | アメリカ陸軍 |
バリエーション | M1870レミントン・ネービー |
製造数 | 11,350挺 |
スプリングフィールドM1870(英:Springfield Model 1870)はアースキン・オーリンが設計した数種類の「トラップドア・スプリングフィールド」後装式ライフル銃の一つである。M1870はスプリングフィールドM1868のマイナーチェンジモデルで、多くの機能はM1868と同じである。
なお、スプリングフィールドM1870は、スプリングフィールドM1870レミントン・ネービーモデルを指す場合もある。この銃はレミントン・アームズ社のローリング・ブロック式ライフルをスプリングフィールド社がライセンス生産した艦上用小銃である。
概要
[編集]トラップドア・スプリングフィールドは、前装式スプリングフィールドM1863を、比較的低コストで後装式に改造したものであり、発射速度を4発/分から12発/分と劇的に改善した。最初のモデルであるスプリングフィールドM1866は、後装用ブリーチ・ブロックを追加したのみであり、次のスプリングフィールドM1866はM1863の58口径の銃身にライナーを挿入することにより50口径にボアダウンした。しかし、ライナーは実際の使用では信頼性にかけたため、後期モデルであるM1868は銃身そのものを50口径のものに交換した。M1870も同様である。
M1870には細部が異なる2つのバージョンがある。最初のバージョンは1870年と1871年に製造された。M1868に比べ、照門が改良され、短いレシーバーが用いられた。M1870の最初のバージョンでは、照門はほとんどレシーバーの位置にあった。この前期バージョンは1,000丁が製造された。
次のバージョンは1872年と1873年に製造された。このバージョンでは照門は上方に移され、レシーバーから0.5インチほど離れることとなった。このバージョンはダブル・ショルダー型の槊杖(さくじょう)を使用した。最初のバージョンの槊杖はM1868と同じものであった。また、後期バージョンではブリーチ・ブロック下部の形状が長く高いアーチ型とされたが、前期バージョンではM1868と同じ短いアーチであった。後期バージョンは10,000丁が製造された。
1871年には銃身を短くしたカービンバージョンが製造された。製造数は約350丁であった。
M1870は、バージョンに関わらず.50-70ガバメント弾のカートリッジを使用した。
著名な使用者
[編集]有名なガンマンであるワイルド・ビル・ヒコックはM1870のバリエーションを使用していた。「ヒコック・ライフル」は銃身長が29と5/8インチで、カービンモデルよりは長く、歩兵用ライフルモデルよりは短かった。また、台尻がケンタッキー・ライフル型の傾斜した台尻となっていた。ブリーチ・ブロックには1870年の刻印があり、ロックプレートには1863年の刻印があることから、もともとM1863として製造されたものがM1870に改造されたものであることがわかる。銃床には、ナイフで「J. B. Hickok」との名前が刻まれている。ヒコックは1876年にこの銃と共に埋葬された。しかしながら、1879年にモーリア山に改葬された際に、誰かが棺からこの銃を取り出したものである[1]。
脚注
[編集]- ^ Rosa
参考資料
[編集]- The .45-70 Springfield-Book II-1865-1893.
- Joseph G. Rosa, "Wild Bill Hickok, gunfighter: an account of Hickok's gunfights". University of Oklahoma Press (May 26, 2003). ISBN 978-0806135359