スモカ歯磨
本社屋 | |
種類 | 株式会社 |
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本社所在地 |
日本 〒555-0012 大阪府大阪市西淀川区御幣島一丁目3番9号 |
設立 | 1932年11月2日 |
業種 | 化学 |
法人番号 | 9120001049850 |
事業内容 | OEM歯磨剤・スモカ歯磨・化粧品の製造販売 |
代表者 | 代表取締役社長 藤野和仁 |
資本金 | 2,500万円 |
従業員数 | 60名 |
関係する人物 | 片岡敏郎 |
外部リンク | http://www.smoca.jp/ |
スモカ歯磨株式会社(スモカはみがき)は、大阪府大阪市西淀川区御幣島に本社を置く、歯磨剤・歯ブラシなどのオーラルケア用品を中心にトイレタリー用品を製造販売している企業である。創業から令和元年まで販売され続けていたタバコのヤニ取り歯磨「スモカ歯磨」の販売元で、戦前に同製品の広告文案を手掛け『広告の鬼才』と謳われた片岡敏郎による広告でその名を知る者も多い。
会社概要
[編集]同社の主力製品「スモカ歯磨」は、1925年(大正14年)、壽屋(現・サントリー)から発売された。この時代は紙袋入りの粉歯磨が主流だったため、潤製丸缶入り高級歯磨粉として注目を集める。キャッチフレーズは「タバコのみの歯磨スモカ」で、当時の日刊紙に、片岡本人の手による、小スペースでの広告が毎日の様に掲載されて話題になると共に、爆発的な売り上げを記録する。
その後、壽屋はウイスキーを経営の主軸に据えるべく、試行錯誤を極めた結果、経営難に陥った。これにより、壽屋は1932年(昭和7年)に、止む無くスモカ歯磨の製造販売権を藤野勝太郎に譲渡し、藤野が経営の舵を取る形で、正式に株式会社 寿毛加社を創立[1]する。これに伴い、片岡も壽屋から寿毛加社に移籍するが、その後も片岡による広告は大いに評判を呼び、スモカ歯磨もさらに売り上げを延ばす[2]。当時の販売網は、タバコ屋を中心とするものであった。
しかし、1940年(昭和15年)には、日増しに強くなる戦時体制の色合いに難を示した片岡が、日刊紙に廃業広告を掲載すると共に、広告文案から一切手を引き、寿毛加社を退社した(この5年後、片岡は病没する)。その後は終戦直後の経営難を乗り切るも、主要製品である歯磨粉をタバコ用から一般用へ移しつつ、1986年(昭和61年)から海外の各国企業との提携、ならびに国内各メーカーのOEM生産を請け負いながら、今日に至っている。
前述の様にOEM生産へ移行して以降も、スモカ歯磨が同社を代表する製品であり続けたが、2019年(令和元年)7月30日、同社ホームページにて「歯磨スモカ赤缶」および「歯磨スモカ緑缶」(葉緑素配合)の2つの歯磨粉の製造・販売の終了が告知され、同製品は90年以上の歴史に幕を下ろした[3]。その後、2020年10月20日に、歯磨スモカの後継製品ともいえるパウダータイプのホワイトニング歯磨き粉「MASHIRO」を発売した。2024年現在、同製品と、ペーストタイプとジェルタイプ、2種の薬用歯磨き「COSMION」を市販品として展開している。
2024年(令和6年)1月から、日本のプロバスケットボールチーム・大阪エヴェッサ(B.LEAGUE B1 西地区所属)とパートナー契約を締結している[4]。
脚注
[編集]- ^ 社名を寿毛加社としたのは商品のブランドが行き渡っていた現実も踏まえ、片岡の「壽屋に毛の生えたようなもの」の提案もあったと言われている。
- ^ 当時のスモカ歯磨の新聞広告は、後にマドラ出版より「片岡敏郎スモカ広告全集」として出版された。
- ^ スモカ歯磨NEWS&TOPICS、スモカ徳用缶 赤缶・緑缶 廃番に関してのお知らせ
- ^ “大阪エヴェッサ様とのパートナー契約締結のお知らせ”. スモカ歯磨 (2024年1月5日). 2024年4月3日閲覧。