スーザン・イザベル・デーカー
スーザン・イザベル・デーカー Susan Isabel Dacre | |
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アニー・スウィナートンによる肖像画 | |
生誕 |
1844年 イギリス,レミントン |
死没 | 1933年 |
スーザン・イザベル・デーカー(Susan Isabel Dacre、1844年 – 1933年)[1]は、ヴィクトリア朝時代のイギリスの画家である。[2]
略歴
[編集]ウォリックシャーのレミントン(Leamington)で生まれた。サルフォードの修道院付属学校で学んだ後、1858年から1868年の間、パリで暮らし、初め学校で学んだ後、家庭教師(ガヴァネス)として働いた。1869年の冬はローマで過ごした後、パリに戻り、普仏戦争とパリ・コミューンを目撃した後、1871年にイギリスに戻り、マンチェスターの美術学校で美術を学び始め、1875年に賞を受けた。同じ頃、美術学校の学生となっていたアニー・スウィナートンと知り合い、一生を通じての友人となった。1874年に2人はローマに留学し、その後パリで学んだ[3]。
パリでは1877年から1880年の間、アカデミー・ジュリアンで学び、同時期にアカデミー・ジュリアンで学んでいたウクライナ出身の画家、マリ・バシュキルツェフの出版された有名な『日記』にコンクールで一等を取った学生仲間としてふれられている。
サロン・ド・パリに何度か出展し[4]、主に肖像画を描いた。ロンドンにしばらく滞在した後1883年にマンチェスターに戻った。マンチェスターでは別の女性画家、メアリー・モンクハウスと共同でスタジオを開いた。モンクハウスと運動して、1897年にデーカーはマンチェスター美術アカデミーの会員になることができ、モンクハウスは会計になった。
1887年にマンチェスターで開かれた女王在50周年記念展覧会に作品を展示し、画家のフォード・マドックス・ブラウンが会場に装飾画を描くのに協力した。[5]
女性の地位向上のための活動でも知られ、アニー・スウィナートンとマンチェスター女性画家協会 (Manchester Society of Women Painters)を設立し、協会の会長を務めた。1885年から1895年の間はマンチェスター婦人参政権全国協会 (Manchester National Society for Women's Suffrage)の執行委員を務めた。マンチェスターの科学者で女性運動の活動家のリディア・ベッカーの肖像画(下図)はデーカーの代表作のひとつである[6]。
作品
[編集]-
リディア・ベッカー
-
イタリアの少女
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イタリアの女性たち
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母親
脚注
[編集]- ^ “S. Isabel Dacre”. Manchester Art Gallery. 12 August 2012閲覧。
- ^ Deborah Cherry, Painting Women: Victorian Women Artists, London, Routledge, 1993.
- ^ Brian Stewart & Mervyn Cutten (1997). The Dictionary of Portrait Painters in Britain up to 1920. Antique Collectors' Club. ISBN 1-85149-173-2
- ^ Gabriel P Weisberg and Jane Becker, Overcoming All Obstacles The Women Of The Academie Julian, NJ, Rutgers University Press, 1999, Gabriel P Weisberg, pp. 24–25.
- ^ Susan W Thomson, MVAS Manchester Art Press, 2007, Chapter 13 – Victorian Female Artists Making Their Mark On Manchester’s Art Scene, pp.193–202.
- ^ Carol David, "Investitures of Power: Portraits of Professional Women," Technical Communication Quarterly, Vol. 10 No. 1 (January 2001), pp. 5-29.
参考文献
[編集]- Susan W Thomson, Manchester’s Victorian Art Scene And Its Unrecognised Artists, Manchester Art Press, 2007. ISBN 978-0-9554619-0-3