ズデニェク・ハラバラ
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ズデニェク・ハラバラ(Zdeněk Chalabala, 1899年4月18日 - 1962年3月4日[1])は、オーストリア=ハンガリー帝国出身の指揮者[2]。
ウヘルスケー・フラジシュチェの生まれ。幼少期をモラヴスケー・ブジェヨヴィツェで過ごす。ウィーン大学で法学、プラハ・カレル大学で哲学を学んだが、いずれも学位を取るまでには至らず、ブルノ音楽院でフランティシェク・ノイマンに作曲を学んで1923年に音楽院を卒業した。その後、1925年から翌年まで、レオシュ・ヤナーチェクの薫陶を受けた。1926年には師のノイマンの後任としてブルノ歌劇場の首席指揮者になり、1936年までその任に当たった。1936年にはプラハ国民劇場の指揮者陣に加わった。1945年からオストラヴァ、ブルノやブラチスラヴァの各都市の歌劇場を指揮して回ったが、1955年にモスクワに客演したのをきっかけに、1956年から1959年までボリショイ劇場の指揮者として活動し、ヤナーチェクの《イェヌーファ》などのチェコ産のオペラをソビエト連邦に紹介した。
プラハにて死去。