セルウィウス・スルピキウス・カメリヌス・ルフス
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セルウィウス・スルピキウス・カメリヌス・ルフス Servius Sulpicius Camerinus Rufuso | |
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出生 | 不明 |
死没 | 不明 |
出身階級 | パトリキ |
氏族 | スルピキウス氏族 |
官職 | 執政官(紀元前345年) |
セルウィウス・スルピキウス・カメリヌス・ルフス(ラテン語: Servius Sulpicius Camerinus Rufus、生没年不詳)は紀元前4世紀の共和政ローマの政治家・軍人。紀元前345年に執政官(コンスル)を務めた。
出自
[編集]ルフスはパトリキ(貴族)であるスルピキウス氏族のカメリヌス家の出身である。「ルフス」のアグノーメン(第四名、添え名)は「赤」を意味し、おそらくは一族の誰かが赤毛であったためと思われるが、歴史上でカメリヌス・ルフスのアグノーメンが確認されるのは、彼が最初であり、その後のプレブス(平民)系のスルピキウス・ルフス家は彼の子孫あるいは関係者である可能性がある[1]。カメリヌス本家は、ローマ建国以来執政官を輩出してきたが、ルフス以降は400年間近く執政官は出ておらず、次の執政官は紀元9年のクィントゥス・スルピキウス・カメリヌスまで待たねばならない[2]。
経歴
[編集]ルフスは紀元前345年に執政官に就任。同僚執政官はマルクス・ファビウス・ドルスオであった。この年、アウルンキがローマ領土を襲撃してきたが、敵が全ラティウムを支援することを恐れた元老院は、ルキウス・フリウス・カミッルスを独裁官(ディクタトル)に任命した。独裁官任期の終了後、両執政官が軍の指揮を引き継ぎ、ウォルスキ都市ソラを奇襲によって占領した[3]。
脚注
[編集]参考資料
[編集]関連項目
[編集]公職 | ||
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先代 マルクス・ウァレリウス・コルウス II ガイウス・ポエテリウス・リボ・ウィソルス II |
執政官 同僚:マルクス・ファビウス・ドルスオ 紀元前345年 |
次代 ガイウス・マルキウス・ルティルス III ティトゥス・マンリウス・インペリオスス・トルクァトゥス II |