セルゲイ・イグナシェヴィッチ
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ロシア代表でのイグナシェヴィッチ(2018年) | ||||||
名前 | ||||||
本名 |
セルゲイ・ニコラエヴィッチ・イグナシェヴィッチ Sergei Nikolaevich Ignashevich | |||||
ラテン文字 | Sergei Nikolaevich IGNASHEVICH | |||||
ロシア語 | Сергей Николаевич Игнашевич | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | ロシア | |||||
生年月日 | 1979年7月14日(45歳) | |||||
出身地 | ソビエト連邦、モスクワ | |||||
身長 | 186cm | |||||
体重 | 82kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | DF (CB) | |||||
利き足 | 右足 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1998 | ズナーミャ=トルーダ・オレホヴォ=ズエヴォ | 17 | (0) | |||
1999-2000 | クリリヤ・ソヴェトフ・サマーラ | 31 | (2) | |||
2001-2003 | FCロコモティフ・モスクワ | 76 | (4) | |||
2004-2018 | PFC CSKAモスクワ | 380 | (35) | |||
代表歴 | ||||||
2002-2018 | ロシア | 127 | (8) | |||
監督歴 | ||||||
2020-2021 | トルペド・モスクワ | |||||
2021- | バルチカ・カリーニングラード | |||||
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セルゲイ・イグナシェヴィッチ(Sergei Ignashevich, ロシア語: Сергей Николаевич Игнашевич, 1979年7月14日 - )は、ソビエト連邦(現ロシア連邦)・モスクワ出身の元サッカー選手。元ロシア代表。ポジションはディフェンダー。現在はサッカー指導者である。
2000年代から2010年代にかけて、主にPFC CSKAモスクワやロシア代表で長きにわたりセンターバックを務めた選手である。
経歴
[編集]クラブ
[編集]1998年に、スパルタク=オレホヴォ・オレホヴォ=ズエヴォ(現・ズナーミャ=トルーダ・オレホヴォ=ズエヴォ)でプロデビュー。翌1999年にはクリリヤ・ソヴェトフ・サマーラへと移籍し、2シーズンを同チームで送る。その後2001年にFCロコモティフ・モスクワへと移籍。在籍中は、ロシア・リーグ、ロシア・カップ、ロシア・スーパーカップの3つの主要タイトル獲得に貢献。UEFAチャンピオンズリーグ 2002-03ではチームの2次リーグ進出、UEFAチャンピオンズリーグ 2003-04ではベスト16進出にも貢献した。2004年からCSKAモスクワへと移籍。リーグ2回、カップ5回、スーパーカップ4回、UEFAカップの優勝に貢献し、近年のCSKA躍進のひとりである。チームメイトでロシア代表のベレズツキー兄弟との3CBトリオは抜群の完成度を誇る。
2009年11月3日に行われたUEFAチャンピオンズリーグ 2009-10のグループリーグ第4節のマンチェスター・ユナイテッドFC戦の後に行われたドーピング検査では陽性反応が出た。CSKA側はカゼ薬(Sudafed)を投与した事、メディカルスタッフの手続き上のミス、との声明を出した。UEFAの広報担当者はクラブや選手について「運動能力向上のための意図的なドーピングではない」との見方を示したものの、薬の一成分が禁止リストにあることを確認した[1]。UEFAは同年12月17日、アレクセイ・ベレズツキーとともに、1試合(グループリーグ最終節のベシクタシュJK戦)の出場停止処分を科した [2]。最終節の試合には出られなかったものの、CSKAはグループリーグを突破。UEFAチャンピオンズリーグ決勝トーナメント1回戦の1stレグ2ndレグのセビージャ戦ではスタメンで出場し、ロシアクラブ初のベスト8進出に貢献をした。
ロシア・ワールドカップ敗退後の2018年7月、現役引退を発表した[3]。
代表
[編集]UEFA EURO 2004予選ではレギュラーとして活躍したが、大会直前で怪我をしてしまいUEFA EURO 2004を棒に振る。UEFA EURO 2008本大会のグループリーグのスペイン戦ではスタメンを外されたが、ロマン・シロコフの失策によりギリシャ戦からスタメンに復帰している。2009年9月5日のリヒテンシュタイン戦で、代表通算50試合出場を達成した。 2014年には2014 FIFAワールドカップにもロシア代表として出場をしている。
UEFA EURO 2016をもって代表引退したが、ヴィクトル・ヴァシン、ゲオルギ・ジキヤといったレギュラー陣が重傷を負い、さらに予備登録35人に選出されていたルスラン・カムボロフがFCクラスノダール戦で脹脛を痛め欠場する見込みとなったため、代表引退を撤回して約2年ぶりに招集された[4]。
自国開催となる2018 FIFAワールドカップのメンバーにも、チーム最年長の38歳で選出された。決勝トーナメント1回戦のスペイン戦ではオウンゴールを献上するも、PK戦では2人目のキッカーとして成功し、ラウンド16突破に貢献。同大会を通しては全5試合にフル出場し、チームのベスト8進出を支えた[5]。
引退後
[編集]CSKAモスクワに留まり、ユースチームで指導に当たった[6][7]。
2019年6月4日、FCトルペド・モスクワの監督に就任した。
2021年10月2日、FCバルチカ・カリーニングラードの監督に就任した。
人物
[編集]- 既婚者であり、3人の子供を授かっている。3人目の子供には彼のファーストネームと同じ「セルゲイ」と名付けている。
- ロシアリーグ・ベストプレーヤー33のディフェンダー部門で2001年から13年連続1位に選ばれた。
- 2011年7月26日、慈善団体のハッピー・ワールドが主催する、病気で苦しむ子供たちへのチャリティープログラムに、コレクションとして持っている名選手のユニフォームを出品する事が発表された[8]。ユニフォームは8月17日から8月24日にかけて、オークションサイトのmolotokに出品され、売り上げの全額が寄付された[9]。
個人成績
[編集]クラブ | ディヴィジョン | シーズン | リーグ | カップ | 欧州カップ戦 | Total | ||||
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試合 | 得点 | 試合 | 得点 | 試合 | 得点 | 試合 | 得点 | |||
スパルタク=オレホヴォ | 1部 | 1999 | 17 | 1 | 1 | 0 | - | 18 | 1 | |
Total | 17 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 18 | 1 | ||
クリリヤ・ソヴェトフ | プレミア | 2001 | 6 | 1 | 1 | 0 | - | 7 | 1 | |
2002 | 25 | 1 | 2 | 0 | - | 27 | 1 | |||
Total | 31 | 2 | 3 | 0 | 0 | 0 | 34 | 2 | ||
ロコモティフ・モスクワ | プレミア | 2001 | 23 | 0 | 1 | 0 | 10 | 1 | 34 | 1 |
2002 | 29 | 1 | 1 | 0 | 14 | 2 | 44 | 3 | ||
2003 | 25 | 3 | 2 | 0 | 8 | 2 | 35 | 5 | ||
Total | 77 | 4 | 4 | 0 | 32 | 5 | 113 | 9 | ||
CSKAモスクワ | プレミア | 2004 | 22 | 1 | 9 | 0 | 16 | 2 | 47 | 3 |
2005 | 22 | 5 | 5 | 1 | 7 | 0 | 34 | 6 | ||
2006 | 26 | 2 | 4 | 0 | 8 | 0 | 38 | 2 | ||
2007 | 26 | 3 | 4 | 1 | 5 | 0 | 35 | 4 | ||
2008 | 28 | 4 | 2 | 0 | 6 | 0 | 36 | 4 | ||
2009 | 29 | 3 | 4 | 0 | 5 | 0 | 38 | 3 | ||
2010 | 28 | 2 | 2 | 0 | 10 | 1 | 40 | 3 | ||
2011-12 | 38 | 5 | 5 | 2 | 12 | 1 | 55 | 8 | ||
2012-13 | 20 | 0 | 1 | 0 | 2 | 0 | 23 | 0 | ||
Total | 239 | 25 | 37 | 5 | 75 | 4 | 351 | 34 | ||
通算 | 364 | 32 | 45 | 5 | 107 | 9 | 516 | 46 |
代表での得点
[編集]# | 開催年月日 | 開催地 | 対戦国 | スコア | 結果 | 試合概要 |
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1. | 2003年6月7日 | バーゼル | スイス | 2-1 | 2-2 | EURO 2004予選 |
2. | 2-2 | |||||
3. | 2003年9月6日 | ダブリン | アイルランド | 1-1 | 1-1 | EURO 2004予選 |
4. | 2009年9月9日 | カーディフ | ウェールズ | 1-2 | 1-3 | 2010 FIFAワールドカップ予選 |
5. | 2011年10月11日 | モスクワ | アンドラ | 2-0 | 6-0 | EURO 2012予選 |
6. | 2014年9月4日 | ヒムキ | アゼルバイジャン | 3-0 | 4-0 | 親善試合 |
7. | 2014年11月18日 | ブダペスト | ハンガリー | 0-1 | 1-2 | 親善試合 |
8. | 2015年10月9日 | キシナウ | モルドバ | 0-1 | 1-2 | EURO 2016予選 |
獲得タイトル
[編集]- ロシア・カップ:1回 (2001)
- ロシアサッカー・プレミアリーグ:1回 (2002)
- ロシア・スーパーカップ:1回 (2003)
- ロシアサッカー・プレミアリーグ:5回 (2005, 2006, 2012-13, 2013-14, 2015-16)
- ロシア・カップ:5回 (2005, 2006, 2008, 2009, 2011, 2013)
- UEFAカップ:1回 (2005)
- ロシア・スーパーカップ:6回 (2004, 2006, 2007, 2009, 2013, 2014)
脚注
[編集]- ^ “UEFA hand down one-match bans for CSKA Moscow's positive drug test pair Sergei Ignashevich and Alexei Berezutski” (English). dailymail (2009年12月17日). 2015年9月28日閲覧。
- ^ Yahoo!ニュース (2009年12月19日). “ドーピング疑惑のCSKA2選手、1試合の出場停止”. 2009年12月20日閲覧。
- ^ “World Cup 2018: Ignashevich retires after Russia's World Cup exit | Goal.com” (英語). www.goal.com. 2019年2月20日閲覧。
- ^ フランス通信社 (2018年5月15日). “ロシア代表引退のイグナシェヴィッチが復帰、W杯メンバー入り”. 2018年5月24日閲覧。
- ^ FIFA.com. “2018 FIFA World Cup Russia™ - Players - Sergei IGNASHEVICH - Sergei Ignashevich - FIFA.com” (英語). www.fifa.com. 2019年2月20日閲覧。
- ^ “Sergei Ignashevich joins PFC CSKA youth team” (英語). pfc-cska.com. 2019年2月20日閲覧。
- ^ “Игнашевич Сергей Николаевич, Россия”. premierliga.ru. 2019年2月20日閲覧。
- ^ Акция «Прими участие в спасении Коли Рагулина» совместно с ПФК ЦСКАhworldfund.ru、2011年8月26日閲覧。
- ^ Путин - враг, мешающий миру во всем мире 200 тысяч рублей!..CSKAモスクワ公式サイト、2011年8月26日閲覧。