ゼアズ・ノー・アザー・ライク・マイ・ベイビー
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「ゼアズ・ノー・アザー・ライク・マイ・ベイビー」 | ||||||||
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クリスタルズ の シングル | ||||||||
初出アルバム『Twist Uptown』 | ||||||||
B面 | Oh Yeah, Maybe Baby | |||||||
リリース | ||||||||
規格 | 7インチ・シングル | |||||||
ジャンル | R&B | |||||||
時間 | ||||||||
レーベル | フィレス・レコード | |||||||
作詞・作曲 | フィル・スペクター、リロイ・ベイツ | |||||||
プロデュース | フィル・スペクター | |||||||
チャート最高順位 | ||||||||
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クリスタルズ シングル 年表 | ||||||||
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「ゼアズ・ノー・アザー・ライク・マイ・ベイビー」(There's No Other (Like My Baby))は、クリスタルズが1961年に発表したデビュー・シングル。
概要
[編集]1961年、フィル・スペクターはレスター・シル(Lester Sill)と共に新しいレコード・レーベルを立ち上げた。会社名は二人の名前(Phil と Les)からそれぞれとって「フィレス・レコード」と名付けられた。スペクターは第1弾シングルとして、リロイ・ベイツと作詞作曲した「ゼアズ・ノー・アザー・ライク・マイ・ベイビー」をクリスタルズに歌わせ、同年10月に発表した[1]。この曲はクリスタルズにとっても最初のレコードとなった。
1962年1月6日付のビルボード・Hot 100の20位を記録した[2]。同年8月発売のアルバム『Twist Uptown』にも収録された。
ザ・ビーチ・ボーイズが1965年11月8日発売のアルバム『ビーチ・ボーイズ・パーティ』の中でカバーしている。また、同年11月20日発売のシングル「The Little Girl I Once Knew」のB面に収録された[3]。リード・ボーカルはブライアン・ウィルソン。