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ゼナイード・ボナパルト

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ゼナイード=レティシア=ジュリー・ボナパルト
Zénaïde-Laetizia-Julie Bonaparte
アストゥリアス女公
在位 1808年 - 1813年

出生 (1801-07-08) 1801年7月8日
フランス共和国パリ
死去 (1854-08-08) 1854年8月8日(53歳没)
両シチリア王国の旗 両シチリア王国ナポリ
埋葬 教皇領ローマ、サンタ・マリア・イン・ヴィア・ラータ教会
配偶者 シャルル・リュシアン・ボナパルト
子女 一覧参照
家名 ボナパルト家
父親 ジョセフ・ボナパルト
母親 ジュリー・クラリー
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ゼナイード=レティシア=ジュリー・ボナパルトZénaïde-Laetizia-Julie Bonaparte1801年7月8日 - 1854年8月8日)は、ボナパルト家の一員。ジョセフ・ボナパルトジュリー・クラリーの次女。妹にシャルロット・ボナパルトがいる。

概要

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叔父ナポレオン・ボナパルトの栄達とともに称号が与えられ、1804年には「フランスのプリンセス」(princesse française)およびアルテス・アンペリアル(altesse impériale)の称号、1808年に父ジョセフがスペイン王となると「スペインのインファンタ」および「アストゥリアス女公」となった。

1822年、叔父リュシアン・ボナパルトの息子で従弟にあたるシャルル・リュシアン・ボナパルトと結婚した。著名な鳥類学者でもあった夫シャルル・リュシアンは、ハト科の一群を新たなとして記載する際に妻に献名してZenaida(和名はハジロバト属)とした。画家ジャック=ルイ・ダヴィッドは、1821年にブリュッセル滞在中のゼナイードと彼女の妹シャルロットの肖像画を描いた。彼女はローマのヴィッラ・ボナパルト内に、父ジョセフから与えられたダヴィッド画の『アルプスを越えるナポレオン』(Bonaparte franchissant le Grand-Saint-Bernard)を含むコレクションを所有していた[1]

子女

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  • ジョセフ・リュシアン(1824年 - 1865年)
  • アレクサンドリーヌ(1826年 - 1828年)
  • リュシアン・ルイ(1828年 - 1895年) - 枢機卿
  • ジュリー(1830年 - 1900年)
  • シャルロット(1832年 - 1901年)
  • レオニー(1833年 - 1839年)
  • マリー・デジレ(1835年 - 1890年)
  • オギュスタ(1836年 - 1900年)
  • ナポレオン・シャルル(1839年 - 1899年)
  • バティルド(1840年 - 1861年)
  • アルベルティーヌ(1842年 - 1842年)
  • シャルル・アルベール(1843年 - 1847年)

脚注

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  1. ^ Georges Lafenestre, Eugène Richtenberger (1905), Rome les musées, les collections particulières, les palais, p. 271 : « La réplique de la Villa Bonaparte est vraisemblablement celle que David avait peinte pour Charles IV roi d'Espagne ».