ゼナイード・ボナパルト
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ゼナイード=レティシア=ジュリー・ボナパルト Zénaïde-Laetizia-Julie Bonaparte | |
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アストゥリアス女公 | |
在位 | 1808年 - 1813年 |
出生 |
1801年7月8日 フランス共和国、パリ |
死去 |
1854年8月8日(53歳没) 両シチリア王国、ナポリ |
埋葬 | 教皇領、ローマ、サンタ・マリア・イン・ヴィア・ラータ教会 |
配偶者 | シャルル・リュシアン・ボナパルト |
子女 | 一覧参照 |
家名 | ボナパルト家 |
父親 | ジョセフ・ボナパルト |
母親 | ジュリー・クラリー |
ゼナイード=レティシア=ジュリー・ボナパルト(Zénaïde-Laetizia-Julie Bonaparte、1801年7月8日 - 1854年8月8日)は、ボナパルト家の一員。ジョセフ・ボナパルトとジュリー・クラリーの次女。妹にシャルロット・ボナパルトがいる。
概要
[編集]叔父ナポレオン・ボナパルトの栄達とともに称号が与えられ、1804年には「フランスのプリンセス」(princesse française)およびアルテス・アンペリアル(altesse impériale)の称号、1808年に父ジョセフがスペイン王となると「スペインのインファンタ」および「アストゥリアス女公」となった。
1822年、叔父リュシアン・ボナパルトの息子で従弟にあたるシャルル・リュシアン・ボナパルトと結婚した。著名な鳥類学者でもあった夫シャルル・リュシアンは、ハト科の一群を新たな属として記載する際に妻に献名してZenaida(和名はハジロバト属)とした。画家ジャック=ルイ・ダヴィッドは、1821年にブリュッセル滞在中のゼナイードと彼女の妹シャルロットの肖像画を描いた。彼女はローマのヴィッラ・ボナパルト内に、父ジョセフから与えられたダヴィッド画の『アルプスを越えるナポレオン』(Bonaparte franchissant le Grand-Saint-Bernard)を含むコレクションを所有していた[1]。
子女
[編集]- ジョセフ・リュシアン(1824年 - 1865年)
- アレクサンドリーヌ(1826年 - 1828年)
- リュシアン・ルイ(1828年 - 1895年) - 枢機卿
- ジュリー(1830年 - 1900年)
- シャルロット(1832年 - 1901年)
- レオニー(1833年 - 1839年)
- マリー・デジレ(1835年 - 1890年)
- オギュスタ(1836年 - 1900年)
- ナポレオン・シャルル(1839年 - 1899年)
- バティルド(1840年 - 1861年)
- アルベルティーヌ(1842年 - 1842年)
- シャルル・アルベール(1843年 - 1847年)
脚注
[編集]- ^ Georges Lafenestre, Eugène Richtenberger (1905), Rome les musées, les collections particulières, les palais, p. 271 : « La réplique de la Villa Bonaparte est vraisemblablement celle que David avait peinte pour Charles IV roi d'Espagne ».