ソナム・サンポ
ロプン・ソナム・サンポ(sLob dpon bsod nams bzang po、生没年不詳)は、中央チベットツァン地方の名家コン氏に生まれたチベット人。在家のまま公主(チンギス・カン家の女性)を娶り白蘭王に封ぜられたことで知られる。
概要
[編集]ソナム・サンポは大元ウルスに仕えて「帝師」となったことで著名なパクパと初代白蘭王チャクナ・ドルジェの弟のイェシェー・チェンネーの子のサンポペルの息子にあたる[1]。ソナム・サンポは歴代の白蘭王の中で唯一『元史』などの漢文史料に豊富に記録が残っており、チベット語史料/漢文史料の記述は一致する[2]。
『フゥラン・テプテル』などのチベット語史料によると、ソナム・サンポは父のサンポペルがマンジ(旧南宋領のモンゴル語呼称)に居た時に生まれ、若年の内に北方で国公(Gu'i gung)となったという[1]。ソナム・サンポはゲゲーン・カアン(英宗シデバラ)の治世の1321年(至治元年)12月、還俗してゲゲーン・カアンの娘のムンダガン(Mun dha gan)を与えられて、白蘭王に封ぜられた[3][1][4]。
その後、何らかの理由で一時的に出家したが、イェスン・テムル・カアン(泰定帝)の治世の1326年(泰定3年)に還俗して再び白蘭王に封ぜられた[5]。この時、ソナム・サンポは「西番三道宣慰司事(西番三道は烏思蔵宣慰使司都元帥府・土蕃等路宣慰使司都元帥府・吐蕃等処宣慰司都元帥府ぼ総称)」を領したとされる[6]。
『フゥラン・テプテル』によると、ソナム・サンポはドカム地方で逝去したと伝えられ[1]、その弟であるクンガ・レクペー・ギェンツェン・パルサンポ(Kun dga' legs pa'i rgyal mtshan dpal bzang po)がソナム・サンポの妻であった公主を娶り、白蘭王の地位も継承した[7][8]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 乙坂智子「サキャパの権力構造:チベットに対する元朝の支配力の評価をめぐって」『史峯』第3号、1989年
- 佐藤長/稲葉正就共訳『フゥラン・テプテル チベット年代記』法蔵館、1964年