ゾロトゥルン
ゾロトゥルン Solothurn Soleure Soletta | |||
---|---|---|---|
聖堂から眺めたアーレ川 | |||
| |||
位置 | |||
ゾロトゥルンの位置 | |||
位置 | |||
座標 : 北緯47度13分0秒 東経7度32分0秒 / 北緯47.21667度 東経7.53333度 | |||
行政 | |||
国 | スイス | ||
州 (Kanton) | ゾロトゥルン州 | ||
区 (Bezirk) | ゾロトゥルン区 | ||
基礎自治体(Einwohner Gemeinde) | ゾロトゥルン | ||
市長 | ペーター・ホーデル (Peter Hodel) | ||
地理 | |||
面積 | |||
基礎自治体(Einwohner Gemeinde)域 | 6.29 km2 (2.4 mi2) | ||
標高 | 430 m (1,411 ft) | ||
人口 | |||
人口 | (2006年12月現在) | ||
基礎自治体(Einwohner Gemeinde)域 | 15,086人 | ||
人口密度 | 2,398人/km2(6,212人/mi2) | ||
その他 | |||
等時帯 | 中央ヨーロッパ時間 (UTC+1) | ||
夏時間 | 中央ヨーロッパ夏時間 (UTC+2) | ||
郵便番号 | 4500 | ||
公式ウェブサイト : http://www.stadt-solothurn.ch/ |
ゾロトゥルン(アレマン語: Soledurn、標準ドイツ語: Solothurn、フランス語: Soleure、イタリア語: Soletta)は、スイスの都市。ゾロトゥルン州の州都。ゾロトゥルン地区の唯一の自治体である。
地理
[編集]歴史
[編集]ケルト人の定住地が14年から37年頃ローマ皇帝クラウディウスにより改名され、サロドゥルム(Salodurum)の名でローマの要塞となっていった。南東からライン川へ接近する戦略上の要地であった。
中世、定住地はローマ時代の要塞遺跡周辺に成長し、聖ゾロトゥルンのウルズス(マクシミアヌス帝時代に殉教したテーベ軍団の一員)へ捧げられた聖ウルズス聖堂のある巡礼地であった。1127年、町はツェーリンゲン家が獲得し、その後裔の絶えた1218年に帝国自由都市となった。1295年にベルンと同盟した後、スイス連邦の一部となった。1382年、ハプスブルク軍がゾロトゥルンを攻撃し、市はゼンパッハの戦いに巻き込まれた。2年後の条約によって、ハプスブルク家は市の領有を宣言した。15世紀には近隣の領土を加え拡大し、おおまかに現在のゾロトゥルン州と同じ大きさとなった。
1481年、スイス連邦の完全な構成市となった。1530年から1792年の間、フランスの駐スイス大使がゾロトゥルンに駐在した。1817年10月15日、ポーランドの国民的英雄タデウシュ・コシチュシュコはゾロトゥルンで死に、地元の墓地に埋葬された。
建築物
[編集]ゾロトゥルンは、スイス最大のバロック様式の都市と呼ばれる。旧市街は1530年から1792年にかけ建設され、イタリア、フランスの影響、スイスの観念が組み合わされた建築様式を見せている。
1980年、ゾロトゥルンは建築遺産の保護と発展への取り組みを評価され、ヴァッカー賞(en:Wakker Prize)を獲得した。
見どころ
[編集]- 旧市街
- 時計台 (Zeitglockenturm, 12世紀)
- 聖ウルズス聖堂 - 1773年完成
- イエズス会派教会(Jesuitenkirche, 1689年完成)
- ヴァルデック城
- ランドハウス
- ベゼンヴァル宮殿
- ビエンヌ門
- バーゼル門
11にちなむもの
[編集]ゾロトゥルンは「11」という数字と深くかかわっており、ゾロトゥルン州は、スイス連邦に加盟した11番目のカントンである。ゾロトゥルン市内には11の教会と礼拝堂があり、11の歴史ある噴水と11の塔がある。聖ウルズス聖堂には11の祭壇と11の鐘があり、聖堂正面の階段の段数は平均11段である。
地元のビール醸造所は、11を意味するスイスドイツ語でÖufiといい、同名のビールを製造している。
姉妹都市
[編集]関連項目
[編集]- ゾロターン S-18/100 - 同地の名前を持つ会社の生産した対戦車ライフル