タシュティク文化
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タシュティク文化(タシュティクぶんか、英語Tashtyk culture、ロシア語Таштыкская культура)とは、紀元1世紀から4世紀にかけて、シベリアのエニセイ川中・上流域、現在のクラスノヤルスク地方・ハカス共和国・ケメロヴォ州東部に栄えた文化である。エニセイキルギス人に関係があると見られている。
概説
[編集]タシュティク文化の集落、砦や墓地などの遺跡はエニセイ川流域、特にミヌシンスク盆地から南のサヤン渓谷に多く発見されている。墓地からは多数の副葬品が知られている。
特に有名なのは、ミヌシンスク北方のオグラハティ墓地遺跡でレオニート・クィズラソフにより発見された多数のミイラで、石膏製の葬儀用仮面が付けられていた。他に毛皮や絹の衣類なども見つかっている(エルミタージュ美術館蔵)。また火葬骨を入れた皮製の人形なども見出されている。
仮面によれば彼らはコーカソイド的な顔立ちをしている。『史記』などの中国史料によればこの地域には、漢代には堅昆、後の時代には契骨(キルギス・クルグズの音写)などと呼ばれた遊牧民族がおり、紅毛碧眼で鼻の高いコーカソイド風の顔立ちをしていたという。彼らはエニセイキルギス人の祖先とされており(ただし現在と違いテュルク系民族ではなかった可能性もある)、タシュティク文化も彼らによるものであったと推定される。