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タタ (ハンガリー)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
タタ
Tata
タタ城址
タタ城址
タタの市旗 タタの市章
位置
タタ郡の位置の位置図
タタ郡の位置
座標 : 北緯47度39分9.36秒 東経18度19分25.68秒 / 北緯47.6526000度 東経18.3238000度 / 47.6526000; 18.3238000
行政
 ハンガリー
  コマーロム・エステルゴム県の旗 コマーロム・エステルゴム県
 郡 タタ郡
タタ
市長 Michl József
地理
面積  
  域 78.17 km2
標高 140 m
人口
人口 (2010年現在)
  域 24,906人
    人口密度   316.75人/km2
その他
等時帯 CET (UTC+1)
夏時間 CEST (UTC+2)
公式ウェブサイト : http://www.tata.hu/

タタハンガリー語: Tataドイツ語: Totisラテン語: Dotis)は、ハンガリーコマーロム・エステルゴム県の都市。

地理

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ブダペストの西約67kmにあり、キシャルフェルドハンガリー語版(ハンガリー語で小さな平原)の北部にあたる。ゲレチェ山脈ハンガリー語版ヴェールテシュ山地ハンガリー語版の近くにあり、スロバキアとの国境をなすドナウ川のすぐ南側にある。

都心はエレグ湖ハンガリー語版の北岸にあり、一帯は『ハンガリーのトスカーナ』と呼ばれる湖沼地帯である。一帯の湖沼群および付近のフェン沼地カリガネアオガンなどのガン類の重要な生息地であり、1989年にラムサール条約に登録された[1]

ブダペスト=ブルック・アン・デア・ライタドイツ語版オーストリア)間を結ぶ鉄道路線の駅がタタにある。

歴史

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1600年代に描かれたドティス(タタのラテン語名)

タタの定住地としての歴史は11世紀に始まる。起源はベネディクト会派の修道院であった。定住地の名が初めて現れたのは1221年である。ハンガリー貴族マッテウス・チャークドイツ語版が13世紀から1326年までタタを所領とし、城が湖に面して建てられた。ハンガリー王ジグモンド王時代、タタに都市憲章が授けられた。ジグモンド王はタタに宮殿を建設した。1467年から1472年にかけ、マーチャーシュ1世ルネサンス様式の城を設計した。

オスマン帝国のヨーロッパ侵攻の間、城は対トルコの軍事上の要所であった。1727年のトルコ撤退後、タタ城はエステルハージ家の所有となった。以後18世紀後半まで、エステルハージ家は所領を拡大し、当時の壮麗な建築物を建設するにいたった。

統計

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2001年のタタ人口は23,937人で、その民族構成は以下のようになっていた。

姉妹都市

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脚注

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  1. ^ Lakes by Tata | Ramsar Sites Information Service”. rsis.ramsar.org (2017年3月10日). 2023年4月2日閲覧。

外部リンク

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