タック・ラム
タック・ラム Thạch Lam | |
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誕生 |
1910年 フランス領インドシナハノイ |
死没 | 1942年6月 |
職業 | 小説家、評論家 |
国籍 | ベトナムハノイ |
ジャンル | 小説、評論 |
文学活動 | 自力文団 |
代表作 | 『農園の日差し』 |
ウィキポータル 文学 |
タック・ラム( Thạch Lam / 石嵐、1910年 - 1942年6月)は、ベトナムの小説家、評論家。ベトナム現代文学を形成したグループである自力文団のメンバーとして活動した。ベトナム文学史において、一貫して高い評価を得ている[1]。
生涯
[編集]フランス植民地時代のハノイの官吏の家庭に生まれる。農業学校やアルベール・サロー校で学び、卒業後に創作活動をはじめる。ベトナムでは1930年代初頭に自力文団が結成されて新しい文芸を目指して活動し、指導的メンバーにはタック・ラムの兄である作家ニャット・リンも含まれていた。タック・ラムはグループの機関紙である「風化」や「今日」で編集や寄稿を行い、短篇小説や評論は単行本化された。肺炎にかかり、ハノイにて生涯を終えた[2]。
作品
[編集]生涯が短いため、単行本となっているのは短篇小説集3冊、長篇小説1冊、評論集1冊、エッセイ集1冊のみである。作品の多くは、雑誌「今日」に掲載された[3]。
小説、エッセイ
[編集]小説では、故郷であるハノイや、農村を舞台とする物語を書いた。タック・ラムは物語のスケールやプロット、登場人物の造形よりも、感覚的な文体描写に重きをおいた作風をとった。細かい観察をしつつも豪華さは避け、物語は時間に沿って淡々と進み、変化は控えめにされている。よく選ばれるテーマとしては、貧困、生きることの認識、別離と恋愛、名誉や権力によらない他者との関係などがある[4]。また、詩情や女性の描写において優れているとも評価されている[5]。
タック・ラムの作風は、スケールの大きな長篇小説を書く兄のニャット・リンとは大きく異なっていた。これにより、それまでのベトナム近代文学とは異なった作風を確立した。ハノイに愛着を示し、エッセイ『ハノイ36区通り』では食文化や社会風俗を紹介している[6]。
評論
[編集]タック・ラムは、文芸評論において小説の意味について語った。小説とは生きる意味を理解する手助けであり、小説を読むのは人生を精神面で充実するものだとしている。ベトナム文学に対しては、心理をさらに掘り下げることの必要性を論じた[7]。
著作
[編集]短篇小説集
[編集]- "Gió đầu mùa" (1937) 『季節初めの風』
- "Nắng trọng vườn" (1938) 『農園の日差し』
- "Sợi tóc" (1942) 『髪の毛』
長篇小説
[編集]- "Ngày Mới" (1939) 『新しい日』
エッセイ集
[編集]- "Hà Nội băm sáu phố phường" (1943) 『ハノイ36区通り』
評論集
[編集]- "Theo giòng" (1941) 『流れに沿って』
日本語訳著作
[編集]- 『農園の日差し - タック・ラム作品集』 川口健一編訳、大同生命国際文化基金〈アジアの現代文芸〉、2000年。- 日本オリジナル短篇集
- 短篇小説
- 「レー母さんの家」
- 「新たな日々」
- 「ある怒り」
- 「空腹」
- 「季節初めの北風」
- 「農園の日差し」
- 「センの船着き場」
- 「フランス婦人」
- 「二人の子供」
- 「小間物売りの娘」
- 「過ぎし恋」
- 「髪の毛」
- 評論
- 「小説に関する二、三の考え」
- 「小説の読者」
- 「小説は何のためにあるのか」
- 「文学における『田舎の人』」
出典
[編集]参考文献
[編集]- タック・ラム, 川口健一『農園の日差し : タック・ラム作品集』大同生命国際文化基金〈アジアの現代文芸 Vietnam (ベトナム) ; 2〉、2000年。 NCID BA48529074。全国書誌番号:20152800 。
- 『農園の日差し』著者略歴、2000年。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- タック・ラム:作家別作品リスト - 青空文庫
- 荒このみ「タック・ラム著 川口健一編訳 『農園の日差し』 (大同生命国際文化基金)」『総合文化研究 (Trans-Cultural Studies)』第4号、東京外国語大学総合文化研究所、2001年3月、180-181頁、ISSN 18831109、NAID 110002548982。