タボル山の戦い
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タボル山の戦い | |
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『タボル山の戦い』 レオン・コニエ画 | |
戦争:エジプト・シリア戦役(フランス革命戦争) | |
年月日:1799年4月16日 | |
場所:タボル山(現イスラエル) | |
結果:フランスの勝利 | |
交戦勢力 | |
オスマン帝国 | フランス |
指導者・指揮官 | |
ジェッザー・パシャ | ナポレオン・ボナパルト ジャン=バティスト・クレベール |
戦力 | |
25,000名[1] | 約4,000名[1] |
損害 | |
戦死・負傷6,000名、捕虜500名[1] | 戦死2名、負傷60名[1] |
タボル山の戦い(タボルさんのたたかい、フランス語: Bataille du Mont-Thabor)は、1799年4月16日、クレベール将軍率いるフランス軍と、ダマスカスのパシャ率いるオスマン帝国軍との間で行われた戦い。
経緯
[編集]当時ナポレオンはアッコを包囲しており、ダマスカスはその包囲を解くために軍を派遣した。アッコ南方に進出したクレベールは、オスマン軍が圧倒的多数であることを知りながら、それを阻止することを決意し、戦闘に突入した。
フランス軍は2つの方陣を形成して8時間の間戦ったが、ついに弾薬が底をついた。オスマン軍が勝利を得ようとしたその時、ナポレオンが2,500名の兵士と2門の大砲を引き連れて増援に到着した。最悪の事態がいままさに起きようとしていることを見てとったナポレオンは、ただちにオスマン軍の側面を攻撃した。不意を突かれたオスマン軍は混乱し、ついに退却した。
関連項目
[編集]注記
[編集]参考文献
[編集]- Smith, D. The Greenhill Napoleonic Wars Data Book. Greenhill Books, 1998.