三郷村 (樺太)
表示
(タラナイから転送)
さんごうむら 三郷村 | |
---|---|
廃止日 | 1949年6月1日 |
廃止理由 |
国家行政組織法施行 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 樺太地方 |
都道府県 | 樺太庁 豊原支庁 |
郡 | 留多加郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 416.267[1] km2. |
総人口 |
2,459人 (1941年12月1日) |
隣接自治体 |
留多加郡留多加町、能登呂村 本斗郡本斗町 |
三郷村役場 | |
所在地 | 樺太庁留多加郡三郷村大字多蘭内字多蘭内濱区劃外地[2] |
座標 | 北緯46度36分56秒 東経142度25分38秒 / 北緯46.615606度 東経142.427273度 |
特記事項 | 1943年4月1日以降は北海地方に所属。 |
ウィキプロジェクト |
三郷村(さんごうむら)は、日本の領有下において樺太に存在した村(指定町村)。法的には1949年6月1日、国家行政組織法の施行をもって廃止した。
当該地域の領有権に関する詳細は樺太の項目を参照。現在はロシア連邦がサハリン州タラナイ(ru:Таранай)として実効支配している。
概要
[編集]歴史
[編集]- 1915年(大正4年) - 樺太庁告示第七十三号により郡町村名称区域制定ののち留多加郡三郷村と称する。[3]
- 1915年(大正4年)9月 - 大字多蘭内、大字幌内保、大字雨龍に区分。[3]
- 1923年(大正12年)3月 - 大字多蘭内、大字幌内保が留多加村に編入、大字雨龍は能登呂村に分属され三郷村廃止。[3]
- 1929年(昭和4年)3月 - 樺太庁告示第四十一号を以て大字多蘭内、大字幌内保及び留多加町大字川西字利良の地を以て三郷村を制定。[3]
- 1929年(昭和4年)7月1日 - 樺太町村制の施行により二級町村となる。
- 1942年(昭和17年)11月 - 管轄支庁が豊原支庁に変更。
- 1943年(昭和18年)4月1日
- 「樺太ニ施行スル法律ノ特例ニ関スル件」(大正9年勅令第124号)が廃止され、内地編入。
- 指定町村となる。
- 1945年(昭和20年)8月22日 - ソビエト連邦により占拠される。
- 1949年(昭和24年)6月1日 - 国家行政組織法の施行のため法的に樺太庁が廃止。同日三郷村廃止。
村内の地名
[編集]
|
|
([4])
地域
[編集]教育
[編集]以下の学校一覧は1945年(昭和20年)4月1日現在のもの[5]。
- 樺太公立利良国民学校
- 樺太公立多蘭内国民学校
- 樺太公立上多蘭内国民学校
- 樺太公立幌内保国民学校
脚注
[編集]- ^ 樺太年鑑 昭和8年(樺太敷香時報社・著、樺太敷香時報社 1933年)に「面積二六・九九方里」とあり。
- ^ 官報第六百九十八號(内閣印刷局、1929年 p.10)より。
- ^ a b c d e f 三郷村郷土誌(根津友一・著、1932年 p.10)より。
- ^ 南樺太:概要・地名解・史実(西村いわお・著、高速印刷センター内出版部 1994年)より。
- ^ 北海道立教育研究所『北海道教育史 地方編2』(1957年)p. 1682