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ターリコータの戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ターリコータの戦い
戦争南インド
年月日1565年1月
場所:ターリコータ(ラークシャシ・タンガティ)
結果:デカン・スルターン朝の勝利
交戦勢力
ヴィジャナガル王国 デカン・スルターン朝
指導者・指揮官
アーリヤ・ラーマ・ラーヤ 
ティルマラ・デーヴァ・ラーヤ
アリー・アーディル・シャー1世英語版
イブラーヒーム・クリー・クトゥブ・シャー
フサイン・ニザーム・シャー1世
アリー・バリード・シャー1世
ブルハーン・イマード・シャー
Raja Ghorpade
戦力
約150,000兵 約110,000兵
損害
100,000兵 不明

ターリコータの戦い(Battle of Talikota)とは、1565年1月に行われた南インドのヴィジャヤナガル王国デカンデカン・スルターン朝(ムスリム5王国)との戦闘。ヴィジャヤナガル王国の衰退につながる戦いで、インドにおける重要な戦いでもある。

概要

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戦闘に至るまで

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ヴィジャヤナガル王国との戦いは、5王国の前身バフマニー朝から続いており、その分裂後に成立したデカン・スルターン朝(ムスリム5王国)にも引き継がれた。ことにヴィジャヤナガル王国とビジャープル王国ライチュール地方英語: Raichur Doab)を巡っての争いは幾度となく続いていた。

そうしたなか、1542年ヴィジャヤナガル王アチュタ・デーヴァ・ラーヤ(在位1529 - 1542)が死亡し、後を継いだ息子のヴェンカタ1世(在位1542)も内乱で死に、王国の実権はクリシュナ・デーヴァ・ラーヤ(在位1509 - 1529)の娘婿アーリヤ・ラーマ・ラーヤとその弟ティルマラ・デーヴァ・ラーヤの手に完全に握られてしまった。

ラーマ・ラーヤの基本政策は、国内を安定させるとともにムスリム5王国を互いに抗争させて弱体化させるというものであり、まずポルトガル人との貿易協定でビジャープル王国への馬の供給を止めて、ビジャープル王国を打ち破り、次にビジャープル王国に同盟を持ちかけてゴールコンダ王国アフマドナガル王国を打ち破った。

しかし、これはしだいにムスリム5王国の反感を買い、彼らもいいように利用されていることに気づき始めて、ついにビジャープル王国、ゴールコンダ王国、アフマドナガル王国、ベラール王国ビーダル王国は同盟を結んだ。

戦闘

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1564年12月にムスリム5王国の同盟は総勢11万でヴィジャヤナガル王国の領土に進撃し、ラーマ・ラーヤとティルマラ・デーヴァ・ラーヤはそれを上回る15万の大軍で迎え、同月25日にクリシュナ川の北方、ビジャープルの東方のターリコータ(ラークシャシ・タンガティ)で両軍は対峙した。

当初、ムスリム5王国側はヴィジャヤナガル王国と和平を結ぼうとしたが、ラーマ・ラーヤがこれを断ったため、翌26日にティルマラ・デーヴァ・ラーヤの師団とアフマドナガル王国とゴールコンダ王国の軍が激突し、戦いの火蓋が切られた。

それから両軍の戦いは約1ヶ月にわたって続いたが、1565年1月23日にラーマ・ラーヤが戦いのさなかに武将の裏切りにより捕えられ殺されてしまい、同月26日にはヴィジャヤナガル王国の軍が壊滅的な打撃を受けて、この戦いで兵100,000人が殺されることとなった。

全てを見たティルマラ・デーヴァ・ラーヤは戦場を離れ、首都ヴィジャヤナガルに戻って、国庫の財宝を1500頭のゾウの上にのせて、南のペヌコンダへ逃げた。

戦闘後の経過

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戦闘後、ムスリム5王国の連合軍はティルマラ・デーヴァ・ラーヤを追い、ヴィジャヤナガル王国の首都ヴィジャヤナガルに進軍し、都市を略奪して破壊、逃げ遅れた多数の人々が犠牲となった。ターリコータの戦いにおける犠牲と首都ヴィジャヤナガルの破壊は、ヴィジャヤナガル王国に大きな打撃を与えて、その衰運を決定的なものとした。

その後、ティルマラ・デーヴァ・ラーヤは、主君サダーシヴァ・ラーヤ(在位1542 - 1569)を擁してペヌコンダを首都に統治を続け、1569年にはサダーシヴァ・ラーヤを廃位して自ら王(在位1569 - 1572)となり、アーラヴィードゥ朝英語版(1542 - 1652)を開いた。

また、ムスリム5王国の同盟は一時的なもので、戦闘後すぐに争い始め、9年後にアフマドナガル王国がベラール王国を滅ぼしている。

ターリコータの戦いののち、ヴィジャヤナガル王国に隣接するビジャープル王国とゴールコンダ王国がたびたび侵入してきたものの、ティルマラ・デーヴァ・ラーヤの息子で「最後の名君」ヴェンカタ2世(在位1586 - 1614)の奮戦もあって、ヴィジャヤナガル王国が滅亡するのは1649年とずっと先のことだった。

参考文献

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  • 「新版 世界各国史7」 山川出版社 南アジア史 辛島 昇
  • 「世界歴史の旅 南インド」 山川出版社 辛島昇・坂田貞二
  • 「接続された歴史」 インドとヨーロッパ 名古屋大学出版会 S・スブラフマニヤム 著 三田昌彦・太田信宏 訳

関連項目

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外部リンク

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