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ダニエラ・ビアンキ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ダニエラ・ビアンキ
Daniela Bianchi
1963年
プロフィール
生年月日 1942年1月31日
現年齢 82歳
出身地 イタリア王国の旗 イタリア王国ローマ
瞳の色 ゴールデンブラウン
毛髪の色 ライトブラウン
公称サイズ(時期不明)
身長 / 体重 170 cm / 56 kg
BMI 19.4
スリーサイズ 86 - 65 - 86 cm
カップサイズ C
活動
デビュー 1958
ジャンル ファッション
モデル内容 一般
備考 ミス・ユニバース1960準優勝
他の活動 女優
外部リンク
データベース IMDb
モデル: テンプレート - カテゴリ

ダニエラ・ビアンキ(Daniela Bianchi、1942年1月31日 - )は、イタリア女優モデルである。

経歴

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1942年1月31日、ローマに生まれる[1]ラツィオ州に生まれるとする資料[2]もある。祖母は侯爵夫人、当時のイタリアではプリンセスに次ぐランクとみなされていた。父はイタリア軍大佐

幼少時より厳しく訓練された生活を送る[3]。少女時代はバレエを習う[1]。やがて官能的な女性に成長するにつれ、ファションモデルとしての活動に関心を移す[4]

1960年、ミス・ローマに選ばれ、ラツィオ州を代表してミス・ユニバース・イタリアに参加。優勝。

同年のミス・ユニバース1960ではアメリカ代表のリンダ・ビメントに次いで総合第2位となった。また、ミス・フォトジェニックも受賞[5]。1962年ミス・イタリア優勝とする資料もあるが、ミス・イタリアの公式サイトで確認は取れない[6]。ミス・ユニバース準優勝以降は国際的にモデル活動を広げる。

女優として

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イタリアのテレビでロッサノ・ブラッツィと共演[4]、これがきっかけで映画のキャリアを開始。1958年、イタリア映画 『En cas de malheur』に出演。スクリーンデビュー[3]

1963年、 『007 ロシアより愛をこめて』でボンドガールに抜擢され、ハリウッドデビュー。彼女の出世作である。引き続きハリウッドでの成功をもくろむが、英語の勉強をしないことが障壁となった[3](後述)。

1968年、『The Last Chance』に出演、本格的な演技のキャリアとしては確認されている最後のものである。結婚後、家族との時間を優先するために映画産業より撤退。

2012年、ドキュメンタリー『We’re Nothing Like James Bond.』に出演。

私生活

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1970年、ジェノヴァ出身の海運王Alberto Cameliと結婚。一人の男の子を設ける[7][8]

その他

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007 ロシアより愛をこめて

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ボンドガールのオーディションには200人以上の候補者がいたが、イタリアの雑誌に掲載された彼女の写真を見た監督のテレンス・ヤングが彼女をロンドンに召喚、決定[7]。当時21歳で、メインのボンドガールとしては当時最年少である[9]

実際のところ彼女は女優業にあまり関心がなかったという説もある。撮影中もチョコレートを食べイタリア小説を読んでマイペースに過ごした。監督に叱られても気にしないずぶとさにショーン・コネリーも好感を持ったと伝えられる[2]

撮影中、運転手の居眠り運転により交通事故が発生、彼女は顔を傷つけて撮影は2週間延期された[10]

彼女にとって本作は10年の映画キャリアの間に出演した唯一の英語フィルムである[8]。ただし彼女の本当の声は作品に残っていない。イタリアなまりの強い英語はBarbara Jeffordによって吹き替えられた[10]。イタリア語版はそれをMaria Pia Di Meoが吹き替えた[7]。彼女はかろうじて英語を話す能力しかないと言う者もいる[8]。実際、1964年のTV Guide誌のインタビューでも、LAの迷路のような道路網を理解できていないと発言している[4]

出演者の一人、アリジャ・ガー は、イスラエル代表としてミス・ユニバース1960に出場。トップ15に残る。ちなみに大会中、彼女のルームメイトだった[11][12]。また、ミス・ジャマイカの出場経験者(入賞ならず)であるマルティーヌ・ベズウィックも出演している[13]

主な出演作品

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出典

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  1. ^ a b Enrico Lancia; Roberto Poppi (2003) (イタリア語). Le attrici: dal 1930 ai giorni nostri. Gremese Editore. p. 36. ISBN 9788884402141 
  2. ^ a b 長谷紅 (2019年3月3日). “ダニエラ・ビアンキ『007/ロシアより愛をこめて』”. Cahiers de Mode. 2020年7月14日閲覧。
  3. ^ a b c Daniela Bianchi Biography”. FAMOUS PEOPLE. 2020年7月14日閲覧。
  4. ^ a b c Tom Lisanti; Louis Paul (2002-04-10) (英語). Film Fatales: Women in Espionage Films and Television, 1962-1973. McFarland. pp. 63-66. ISBN 9780786411948 
  5. ^ Ron Milione (英語). 007 HISTORY OF GADGETS. Lulu.com. p. 175. ISBN 9781387472536 
  6. ^ L'ALBO D'ORO DI MISS ITALIA Scopri le Miss dal 1939 ad oggi”. MISS ITALIA. Tutti i Diritti Riservati Miren S.r.l.. 2020年7月14日閲覧。
  7. ^ a b c Antonio Mustara (2016年6月25日). “Daniela Bianchi, 10 cose da sapere sulla prima Bond girl italiana”. sorrisi.com. Arnoldo Mondadori Editore Spa. 2020年7月14日閲覧。
  8. ^ a b c Chris Strodder (2007-03-01) (英語). The Encyclopedia of Sixties Cool: A Celebration of the Grooviest People, Events, and Artifacts of the 1960s. Santa Monica Press. pp. 53-54. ISBN 9781595809865 
  9. ^ Biography”. IMDb. 2020年7月14日閲覧。
  10. ^ a b Terence Young(監督), Sean Connery(出演) (2006). From Russia with Love, Ultimate Edition (DVD) (英語). MGM.
  11. ^ 007/Roshia yori ai o komete”. IMDb. 2020年7月14日閲覧。
  12. ^ Miss Universe Bond girls”. Missosology (2015年4月15日). 2020年7月14日閲覧。
  13. ^ Douglas Brode (5 January 2016). Deadlier Than the Male: Femme Fatales in 1960s and 1970s Cinema (電子書籍) (英語). BearManor Media.
  14. ^ Tatiana Romanova (Daniela Bianchi)”. James Bond Wiki. 2019年3月9日閲覧。
  15. ^ 暗殺指令 虎は新鮮な肉を好む”. 映画.com. 株式会社エイガ・ドット・コム. 2019年3月10日閲覧。
  16. ^ 地獄の挑戦状”. 映画.com. 株式会社エイガ・ドット・コム. 2019年3月10日閲覧。
  17. ^ 国際泥棒組織”. 映画.com. 株式会社エイガ・ドット・コム. 2019年3月9日閲覧。
  18. ^ アルデンヌの戦い”. 映画.com. 株式会社エイガ・ドット・コム. 2019年3月9日閲覧。
  19. ^ ドクター・コネリー キッド・ブラザー作戦”. 映画.com. 株式会社エイガ・ドット・コム. 2019年3月9日閲覧。

外部リンク

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