ダニエル・アランスビア
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名前 | ||||||||||||||
本名 |
ダニエル・アランスビア・アグアード Daniel Aranzubia Aguado | |||||||||||||
ラテン文字 | Daniel ARANZUBIA | |||||||||||||
基本情報 | ||||||||||||||
国籍 | スペイン | |||||||||||||
生年月日 | 1979年9月18日(45歳) | |||||||||||||
出身地 | ログローニョ | |||||||||||||
身長 | 184cm | |||||||||||||
体重 | 80kg | |||||||||||||
選手情報 | ||||||||||||||
ポジション | GK | |||||||||||||
利き足 | 右足 | |||||||||||||
クラブ1 | ||||||||||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||||||||||
1996-1997 | ビルバオ・アスレティック | 5 | (0) | |||||||||||
1997-1998 | バスコニア | 31 | (0) | |||||||||||
1998-2000 | ビルバオ・アスレティック | 65 | (0) | |||||||||||
2000-2008 | アスレティック・ビルバオ | 162 | (0) | |||||||||||
2008-2013 | デポルティーボ・ラ・コルーニャ | 178 | (1) | |||||||||||
2013-2014 | アトレティコ・マドリード | 1 | (0) | |||||||||||
通算 | 442 | (1) | ||||||||||||
代表歴2 | ||||||||||||||
1995-1996 | スペイン U-16 | 3 | (0) | |||||||||||
1998-1999 | スペイン U-20 | 9 | (0) | |||||||||||
1999-2001 | スペイン U-21 | 17 | (0) | |||||||||||
2000 | スペイン U-23 | 6 | (0) | |||||||||||
2004 | スペイン | 1 | (0) | |||||||||||
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1. 国内リーグ戦に限る。2015年6月現在。 2. 2016年8月現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ダニエル・アランスビア・アグアード(Daniel Aranzubía Aguado、1979年9月18日 - )は、スペイン・ログローニョ出身の元サッカー選手。ポジションはGK。
経歴
[編集]クラブ
[編集]アスレティック・ビルバオ
[編集]ラ・リオハ州・ログローニョに生まれたが、バスク州・ビルバオにあるアスレティック・ビルバオの名高い下部組織(レサマ)で育ち、サードチームであるCDバスコニア、セカンドチームであるビルバオ・アスレティックなどからトップチームでの出場機会をうかがった。2001年4月10日のレアル・ソシエダとのバスク・ダービー(1-3)でトップデビュー。2002-03シーズンまでイニャキ・ラフエンテの控えとして過ごすが、2003-04シーズンにラフエンテからレギュラーを奪うとこの年は5位でUEFAカップ出場権を獲得した。そして、クラブとの契約を4年間延長している[1]。それ以降はラフエンテと激しいポジション争いを繰り広げた。
しかし、2007年夏にラフエンテがRCDエスパニョールへレンタル移籍すると、そのエスパニョールから入れ替わりでゴルカ・イライソスが加入。アランスビアは余剰戦力とみなされ、イライソスの負傷中さえも出場機会を与えられなかった(その際はカディスCFから急遽加入したアルマンド・リベイロがゴールを守った)。
デポルティーボ・ラ・コルーニャ
[編集]2008年7月12日、デポルティーボ・ラ・コルーニャにフリートランスファーで入団するとすぐにUEFAインタートトカップで優勝してUEFAカップの出場権を勝ち取った。10月2日のUEFAカップ1回戦・SKブラン戦はPK戦にもつれ込んだが3本を止める大活躍で勝利に貢献し、グループリーグ出場権を手にした[2]。2008-09シーズンのリーグ戦は出場停止による1試合を除く37試合に出場。リーグ3位の47失点と奮闘し、正GKとしての座を確立した。
2010-11シーズンは開幕前の負傷で出遅れ、序盤6試合を欠場したが、その後はレギュラーに返り咲いた。2011年2月20日のUDアルメリア戦(1-1)は敗戦濃厚だったが、後半ロスタイムのコーナーキックのチャンスで相手ゴール前に飛び出してヘディングシュートを決めた[3][4]。リーガ・エスパニョーラではGKがPKやFKで得点を決めたことはあるが、流れの中での得点は史上初の快挙だった[5]。しかし、この年チームは得点力不足に悩まされ、アランスビア等守備陣の奮闘もむなしく18位に終わり2部降格となった。
アトレティコ・マドリード
[編集]2013年8月13日、アトレティコ・マドリードへの移籍が決定。契約期間は1年[6]。同年12月11日、UEFAチャンピオンズリーグのFCポルト戦にて先発フル出場して移籍後初出場を果たし、2-0での勝利に貢献した[7]。
翌年2月14日、正GKだったティボ・クルトゥワの負傷により、この日のUDアルメリア戦で急遽ラ・リーガでの出番を得た[8]。アランスビアはシーズンを通してクルトワのバックアップとして在籍していたため、アトレティコでの公式戦出場は5試合のみだった。
代表
[編集]1999年にはU-21スペイン代表としてナイジェリアで開催されたFIFAワールドユース選手権に出場して優勝した(準優勝は日本)。2000年にはU-23スペイン代表としてシドニーオリンピックに出場して銀メダルを獲得した。アランスビアの2歳年下には現在スペイン代表の正GKを務めるイケル・カシージャスがいるが、どちらの大会もアランスビアが正GKだった[9]。
2004年6月5日、ヘタフェで行われたアンドラ共和国との親善試合で、サンティアゴ・カニサレスとの交代で途中出場し、スペイン代表デビューを果たした。UEFA欧州選手権2004には第3GKとして参加した[10]。
ただ、A代表ではユース時代とは対照的にカシージャスの壁は厚く、国内屈指の実力者ではあるものの代表とは縁遠い。
所属クラブ
[編集]- ビルバオ・アスレティック 1996-1997
- CDバスコニア 1997-1998
- ビルバオ・アスレティック 1998-2000
- アスレティック・ビルバオ 2000-2008
- デポルティーボ・ラ・コルーニャ 2008-2013
- アトレティコ・マドリード 2013-2014
タイトル
[編集]クラブ
[編集]- アトレティコ・マドリード
- リーガ・エスパニョーラ 2013-14
代表
[編集]- U-20スペイン代表
- FIFA U-20ワールドカップ 1999
- U-23スペイン代表
- シドニーオリンピック銀メダル 2000
関連項目
[編集]脚注
[編集]- ^ Aranzubia puts pen to paper UEFA.com、2004年4月26日
- ^ UEFA Cup: Depor survive Brann penalty scare ESPN Soccernet、2008年10月2日
- ^ Aranzubia to the rescue ESPN Soccernet、2011年2月20日
- ^ “デポルティボGK、試合終了間際に値千金の同点弾”. サッカーキング (2011年2月21日). 2011年2月21日閲覧。
- ^ “デポルティーボのアランスビア、リーガ史上初のGKによる流れの中での得点を記録”. WOWOW (2011年2月22日). 2011年3月16日閲覧。
- ^ “アトレティコがアランスビアを獲得”. Goal (2013年8月14日). 2013年8月14日閲覧。
- ^ “Unbeaten Atlético end Porto hopes”. UEFA (11 December 2013). 12 February 2014閲覧。
- ^ Aldunate, Ramiro (8 February 2014). “Ádiós liderato, hola dudas [Goodbye first place, hello doubts]” (スペイン語). Marca (Madrid) 12 February 2014閲覧。
- ^ ダニエル・アランスビア – FIFA主催大会成績
- ^ Sáez selects Spain squad UEFA.com、2004年5月20日
外部リンク
[編集]- ダニエル・アランスビア - BDFutbolによる個人成績
- ダニエル・アランスビア - National-Football-Teams.com