ダヴィド・アラバ
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バイエルン・ミュンヘンでのアラバ(2019年) | ||||||
名前 | ||||||
本名 |
ダヴィド・オラトゥクンボ・アラバ David Olatukunbo Alaba | |||||
ラテン文字 | David Alaba | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 |
オーストリア ナイジェリア フィリピン | |||||
生年月日 | 1992年6月24日(32歳) | |||||
出身地 | ウィーン | |||||
身長 | 180cm | |||||
体重 | 78kg | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム | レアル・マドリード | |||||
ポジション |
DF (LSB・CB) MF (CMF) | |||||
背番号 | 4 | |||||
利き足 | 左足 | |||||
ユース | ||||||
2001-2002 | SVアスペルン | |||||
2002-2008 | アウストリア・ウィーン | |||||
2008-2009 | バイエルン・ミュンヘン | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2009-2010 | バイエルン・ミュンヘンII | 33 | (1) | |||
2010-2021 | バイエルン・ミュンヘン | 281 | (22) | |||
2011 | → 1899ホッフェンハイム (loan) | 17 | (2) | |||
2021- | レアル・マドリード | 67 | (3) | |||
代表歴2 | ||||||
2007-2009 | オーストリア U-17 | 20 | (5) | |||
2010 | オーストリア U-19 | 5 | (1) | |||
2009-2010 | オーストリア U-21 | 5 | (0) | |||
2009- | オーストリア | 105 | (15) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。2024年5月27日現在。 2. 2023年11月21日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ダヴィド・オラトゥクンボ・アラバ(David Olatukunbo Alaba, 1992年6月24日 - )は、オーストリア・ウィーン出身のサッカー選手。ポジションはディフェンダー。レアル・マドリード所属。オーストリア代表。
本人の発音によると、名前の読みは『デイヴィッド』である[1]。
経歴
[編集]クラブ
[編集]オーストリア時代
[編集]オーストリアのSVアスペルンのユースチームでキャリアをスタートさせ、2002年にFKアウストリア・ウィーンに移籍した。2008年、ドイツのバイエルン・ミュンヘンのユースチームに移籍した。
バイエルン・ミュンヘン
[編集]2010年1月にチームメートのディエゴ・コンテント、メーメット・エキッチと共にトップチームに昇格し、1月13日にプロ契約を結んだ。2月10日、DFBポカールのSpVggグロイター・フュルト戦でベンチ入りし、59分にクリスティアン・レルとの交代でトップチームデビューを飾った。 2011年1月3日、TSG1899ホッフェンハイムにレンタル移籍した。2010-2011シーズン終了後、バイエルンに復帰した。2011年12月、ナセル・バラジテ(オランダ国籍、FKアウストリア・ウィーン)やマーティン・ハルニック(VfBシュトゥットガルト)らを抑えてオーストリア年間最優秀選手に選ばれた[2]。2011-12年はチャンピオンズリーグ決勝の進出に貢献したが、累積警告で決勝には出場出来なかった[3]。
2013-14年シーズンからはジョゼップ・グアルディオラが監督になり、サイドバックだけでなくインサイドハーフとしても起用されるようになった。1試合の中で、守備時はSBのポジションを取りながら、攻撃時には中盤の底にポジションを移動して攻撃の起点となる「偽サイドバック」としての役割は、後に他のチームにもトレンドとして取り入れられ、メディアによって「アラバロール」と名付けられた。
2014-15年シーズンは4バックだけではなく3バックも導入され、3バックの左でも起用されるようになった。2015年1月、3年連続でUEFAのベストイレブンに選出された[4]。
2016年8月、契約を2021年まで延長した[5]。2019-20シーズン、DFBポカール決勝のレバークーゼン戦で先制ゴールを決め[6]優勝に貢献、リーグ優勝、チャンピオンズリーグ優勝と3冠を獲得した。
2021年2月16日、バイエルンとの再契約交渉を打ち切り、2020-21シーズン終了後に退団することを表明[7]。5月に正式にバイエルンを退団することが発表された[8]。
後にアラバは退団理由について以下のように説明した。
「成長するためには、人は『安定した場所』を離れなければならない。僕は思う。おそらく人は知らない場所へと入ったときに再び成熟の機会を得るのだと。とはいえここを離れるまでにはもう少し時間がある。まだ完全に受け入れることはできないよ。何年もの間本当に素晴らしい時を過ごした。涙を浮かべてバイエルン・ミュンヘンを離れるが、同時に自分の将来を楽しみにもしている。退団を決めたのはクラブと対立したからではない。信じられないほどの感謝を抱いているよ。バイエルンが素晴らしいサクセスストーリーを描き続けてくれることを願う」[9]
レアル・マドリード
[編集]2021年5月28日、レアル・マドリードと契約したことが発表された[10][11]。背番号は同年に退団したセルヒオ・ラモスが背負っていた4番[12]。トランスファーマルクトによれば、当時のアラバの市場価値は5500万ユーロであり、移籍金なしで移籍をした史上最も価値の高い選手となった[13]。10月24日のFCバルセロナ戦では、前半32分に移籍後初ゴールを決め、初のエル・クラシコで2-1の勝利に貢献した[14]。その後も継続的に左CBとして出場し、CLとリーガの2冠に大きく貢献した。
2022年8月10日に行われたUEFAスーパーカップ、アイントラハト・フランクフルト戦では先制ゴールを決めてタイトル獲得に貢献した[15]。
2023年12月17日に行われた対ビジャレアルCF戦で負傷交代、検査の結果、左膝前十字靭帯断裂と発表された。19日に手術を実施、復帰には6ヶ月以上を要すとみられており、シーズン絶望となった。なおレアル・マドリードではこのシーズンにティボ・クルトゥワ、エデル・ミリトンも同じく左膝前十字靱帯断裂の重傷を負っており、アラバが3人目の重傷者となってしまった[16]。2024年5月、当初の想定よりも回復具合が芳しくなく、クリーニング手術を実施した。6月にはインタビューにてアラバ本人が近日中にランニングを再開する予定を明かしたが、復帰は最短で10月、回復が遅れれば2025年になると報じられている[17]。
代表
[編集]オーストリア代表として、2009年10月、フランス代表戦で代表デビューを果たした。オーストリア代表での最年少デビューとなった。2012年10月16日のW杯予選、カザフスタン戦で代表初得点を挙げた。
人物
[編集]元々はミッドフィールダーであったが左サイドバックへコンバートされ、ジョゼップ・グアルディオラのもと従来のサイドバックより中央にポジションを取りビルドアップや攻撃参加を行う偽サイドバックとしてプレーした。スピードやスタミナ、左足のキック精度に優れるだけでなく戦術眼も併せ持ち、ミッドフィールダーやサイドバックだけでなくセンターバックやウィングでもプレーできる[18][19][20]。
父親はナイジェリア出身のDJで、母親はフィリピン人の看護師。母親の故郷であるフィリピン代表からも声がかかったが、代表デビューは生まれ故郷のオーストリアを選択している。
アラバはアーセナルFCのサポーターであることを公言している[21]。
個人成績
[編集]クラブ
[編集]クラブ | シーズン | リーグ | リーグ戦 | カップ戦 | 国際大会 | その他 | 合計 | |||||
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出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | |||
バイエルン・ミュンヘン | 2009–10 | ブンデスリーガ | 3 | 0 | 1 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 6 | 0 |
2010–11 | 2 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | ||
通算 | 5 | 0 | 2 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 9 | 0 | ||
ホッフェンハイム | 2010–11 | ブンデスリーガ | 17 | 2 | 1 | 0 | - | 0 | 0 | 18 | 2 | |
通算 | 17 | 2 | 1 | 0 | - | 0 | 0 | 18 | 2 | |||
バイエルン・ミュンヘン | 2011–12 | ブンデスリーガ | 30 | 2 | 6 | 1 | 11 | 0 | 0 | 0 | 47 | 3 |
2012–13 | 23 | 3 | 4 | 0 | 11 | 2 | 0 | 0 | 38 | 5 | ||
2013–14 | 28 | 2 | 5 | 0 | 12 | 2 | 4 | 0 | 49 | 4 | ||
2014–15 | 19 | 2 | 3 | 3 | 6 | 0 | 1 | 0 | 29 | 5 | ||
2015–16 | 30 | 1 | 5 | 0 | 10 | 1 | 1 | 0 | 46 | 2 | ||
2016–17 | 32 | 4 | 5 | 1 | 9 | 0 | 0 | 0 | 47 | 5 | ||
2017–18 | 23 | 2 | 6 | 0 | 7 | 0 | 0 | 0 | 36 | 2 | ||
2018–19 | 31 | 3 | 4 | 0 | 7 | 0 | 1 | 0 | 43 | 3 | ||
2019–20 | 28 | 1 | 5 | 1 | 8 | 0 | 1 | 0 | 42 | 2 | ||
2020–21 | 33 | 2 | 1 | 0 | 8 | 0 | 3 | 0 | 45 | 2 | ||
通算 | 277 | 22 | 44 | 6 | 89 | 5 | 11 | 0 | 422 | 33 | ||
レアル・マドリード | 2021-22 | プリメーラ | 30 | 2 | 3 | 0 | 12 | 1 | 1 | 0 | 46 | 3 |
2022-23 | 23 | 1 | 2 | 0 | 11 | 0 | 3 | 1 | 39 | 2 | ||
通算 | 53 | 3 | 5 | 0 | 23 | 1 | 4 | 1 | 85 | 5 | ||
総通算 | 352 | 27 | 52 | 6 | 114 | 6 | 15 | 1 | 534 | 40 |
クラブ | シーズン | リーグ | リーグ戦 | 合計 | ||
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出場 | 得点 | 出場 | 得点 | |||
バイエルン・ミュンヘンII | 2009–10 | 3. リーガ | 23 | 1 | 23 | 1 |
2010–11 | 10 | 0 | 10 | 0 | ||
総通算 | 33 | 1 | 33 | 1 |
代表
[編集]- 出場大会
- 2010年 - UEFA U-19欧州選手権2010(グループステージ敗退)
- 2016年 - UEFA EURO 2016(グループステージ敗退)
- 2021年 - UEFA EURO 2020(ベスト16)
- 試合数
- 2023年11月21日現在[22]
オーストリア代表 | 国際Aマッチ | |
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年 | 出場 | 得点 |
2009 | 2 | 0 |
2010 | 3 | 0 |
2011 | 11 | 0 |
2012 | 5 | 1 |
2013 | 10 | 5 |
2014 | 4 | 2 |
2015 | 7 | 3 |
2016 | 12 | 0 |
2017 | 5 | 0 |
2018 | 8 | 2 |
2019 | 5 | 1 |
2020 | 4 | 0 |
2021 | 15 | 0 |
2022 | 7 | 1 |
2023 | 7 | 0 |
通算 | 105 | 15 |
- 得点
# | 日付 | 場所 | 対戦相手 | スコア | 結果 | 試合 |
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1. | 2012年10月16日 | ウィーン、エルンスト・ハッペル・シュターディオン | カザフスタン | 3-0 | 4-0 | 2014 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選 |
2. | 2013年3月22日 | フェロー諸島 | 5-0 | 6-0 | ||
3. | 2013年3月26日 | ダブリン、アビバ・スタジアム | アイルランド | 2-2 | 2-2 | |
4. | 2013年6月7日 | ウィーン、エルンスト・ハッペル・シュターディオン | スウェーデン | 1-0 | 2-1 | |
5. | 2013年9月10日 | アイルランド | 1-0 | 1-0 | ||
6. | 2013年10月15日 | トースハウン、トースヴェリュール | フェロー諸島 | 0-3 | 0-3 | |
7. | 2014年9月8日 | ウィーン、エルンスト・ハッペル・シュターディオン | スウェーデン | 1-0 | 1-1 | UEFA EURO 2016予選 |
8. | 2014年10月9日 | キシナウ、スタディオヌル・ジンブル | モルドバ | 0-1 | 1-2 | |
9. | 2015年3月27日 | ファドゥーツ、ラインパーク・シュタディオン | リヒテンシュタイン | 0-3 | 0-5 | |
10. | 2015年9月8日 | ソルナ、フレンズ・アレーナ | スウェーデン | 0-1 | 1-4 | |
11. | 2015年11月17日 | ウィーン、エルンスト・ハッペル・シュターディオン | スイス | 1-1 | 1-2 | 親善試合 |
12. | 2018年3月23日 | クラーゲンフルト、ヴェルターゼー・シュターディオン | スロベニア | 1-0 | 3-0 | |
13 | 2018年9月6日 | ウィーン、レトナ・スタジアム | スウェーデン | 2–0 | 2–0 | |
14 | 2019年11月16日 | ウィーン、エルンスト・ハッペル・シュターディオン | 北マケドニア | 1–0 | 2–1 | UEFA EURO 2020予選 |
15 | 2022年11月20日 | ウィーン、エルンスト・ハッペル・シュターディオン | イタリア | 2-0 | 2-0 | 親善試合 |
タイトル
[編集]クラブ
[編集]- バイエルン・ミュンヘン
- ブンデスリーガ: 2009-10, 2012-13, 2013-14, 2014-15, 2015-16, 2016-17, 2017-18, 2018-19, 2019-20, 2020-21
- DFBポカール: 2009-10, 2012-13, 2013-14, 2015-16, 2018-19, 2019-20
- DFLスーパーカップ: 2016, 2018, 2020
- UEFAチャンピオンズリーグ: 2012-13, 2019-20
- UEFAスーパーカップ: 2013, 2020
- FIFAクラブワールドカップ: 2013, 2020
- レアル・マドリード
- ラ・リーガ:2021-22, 2023-24
- コパ・デル・レイ:2022-23
- スーペルコパ・デ・エスパーニャ:2021-22, 2023-24
- UEFAチャンピオンズリーグ:2021-22, 2023-24
- UEFAスーパーカップ:2022, 2024
- FIFAクラブワールドカップ:2022
個人
[編集]- オーストリア年間最優秀選手:2011, 2012, 2013, 2014, 2015, 2016, 2020, 2021, 2022
- UEFAチーム・オブ・ザ・イヤー:2013, 2014, 2015
- ESMチーム・オブ・ザ・イヤー:2013-14
- UEFAチャンピオンズリーグ 年間ベストチーム(スカッドオブザシーズン): 2019-20, 2020-21
- FIFA FIFProワールドイレブン:2021
脚注
[編集]- ^ GQ Germany (2022-12-04), David Alaba: München oder Madrid? | ENTWEDER ... ODER | GQ Germany 2024年7月18日閲覧。
- ^ “アラバがオーストリアの最優秀選手に”. UEFA.com (2011年12月20日). 2011年12月26日閲覧。
- ^ “David Alaba's suspension for the Champions League final is the most regrettable of all”. The Independent. (8 May 2012). オリジナルの10 May 2012時点におけるアーカイブ。
- ^ “Cristiano Ronaldo, Lionel Messi and Angel di Maria in UEFA Team of the Year... but no British players make select XI”. Daily Mail (9 January 2015). 10 January 2015閲覧。
- ^ “David Alaba extends stay at FC Bayern” (18 March 2016). 22 March 2016閲覧。
- ^ “Bayern Munich secure domestic double with 4-2 Cup win over Leverkusen” (英語). www.espn.com (4 July 2020). 5 July 2020閲覧。
- ^ “ダヴィド・アラバ、今夏のバイエルン退団を発表”. キッカー日本語版 (2021年2月17日). 2021年2月17日閲覧。
- ^ “最年少での最多優勝、オールラウンダー、外国籍選手最多記録 - ありがとう、ダヴィド・アラバ!”. FCバイエルン・ミュンヘン (2021年5月21日). 2021年5月22日閲覧。
- ^ “バイエルン退団決定のアラバ、理由は「より成熟するため」”. Qoly. 2022年6月9日閲覧。
- ^ “公式声明:アラバ選手に関して”. レアル・マドリード (2021年5月28日). 2021年5月29日閲覧。
- ^ “アラバ、レアル・マドリードの新入団選手”. レアル・マドリード (2021年5月28日). 2021年5月29日閲覧。
- ^ “アラバ:「これは世界最大のクラブへ来るという夢の実現」”. レアル・マドリード (2021年7月21日). 2021年7月22日閲覧。
- ^ “レアル正式加入のアラバ、“史上最高価値”74億円でのフリー移籍成立…リーガ初挑戦へ”. football-zone (2021年5月29日). 2022年8月29日閲覧。
- ^ “アラバ:「僕はとても幸運に恵まれている。最初のクラシコで最初のゴールを決めた」”. レアル・マドリード (2021年10月24日). 2021年10月26日閲覧。
- ^ “RマドリードがUEFAスーパー杯を制して今季初タイトル! フランクフルト・鎌田は先発フル出場で躍動”. yahoo.co.jp (2022年8月11日). 2022年8月11日閲覧。[リンク切れ]
- ^ “レアル・マドリード、左ひざ前十字じん帯断裂のDFアラバの手術実施を発表”. SOCCERKING (2023年12月20日). 2024年4月28日閲覧。
- ^ “ダビド・アラバ32歳が迎える正念場の1年…“究極のクラブ”で地位を守れるか”. 超WORLDサッカー! (2024年7月11日). 2024年7月11日閲覧。
- ^ “「偽SB」の先駆者。現代最高のマルチロール、ダビド・アラバの傑出した才能【西部の目】”. フットボールチャンネル (2018年1月27日). 2023年11月18日閲覧。
- ^ “グアルディオラの工夫が生んだ「偽サイドバック」を解き明かす”. footballista (2018年4月6日). 2023年11月18日閲覧。
- ^ “今、世界で最も欲しがられる選手。アラバはどこでプレーしても最上級だ”. sportiva web (2021年1月22日). 2023年11月18日閲覧。
- ^ アーセナルファンと明かしたアラバ、将来的なリーガ&プレミア移籍に興味かサンスポ 2019年3月2日
- ^ ダヴィド・アラバ - National-Football-Teams.com
外部リンク
[編集]- David Alaba - fussballdaten.de
- Transfermarkt.jp
- ダヴィド・アラバ - National-Football-Teams.com
- David Alaba (@David_Alaba) - X(旧Twitter)
- ダヴィド・アラバ - Soccerwayによる個人成績
- レアル・マドリード