ダライ・ノール
表示
ダライ・ノール | |
---|---|
南岸より臨むダライ・ノール | |
2000年撮影 | |
位置 | 中華人民共和国内モンゴル自治区赤峰市ヘシグテン旗 |
座標 | 北緯43度16分53秒 東経116度37分52秒 / 北緯43.28139度 東経116.63111度座標: 北緯43度16分53秒 東経116度37分52秒 / 北緯43.28139度 東経116.63111度 |
種類 | 内流咸水湖 |
主な流入 | 耗来河、貢格爾河、亮子河、沙里河 |
主な流出 | 无 |
国 | 中華人民共和国 |
面積 | 237平方キロメートル (92 sq mi) |
平均水深 | 5メートル (16 ft) |
最大水深 | 13メートル (43 ft) |
水量 | 1.6立方キロメートル (0.38 cu mi) |
水面標高 | 1,226メートル (4,022 ft) |
ダライ・ノール(Dalai Nur)とは、中華人民共和国内モンゴル自治区ヘシグテン旗に位置する湖。
概要
[編集]ダライ湖(達里湖)とも表記され、古くは魚児濼、答児海子とも記された。長春真人は魚児濼に設置されたジャムチ(駅伝)を利用してチンギス・カンの下まで旅をしたことが知られている。
大元ウルスが成立すると、ダライ・ノール湖畔にコンギラト部の夏営地である、応昌城が建設された。明朝が大元ウルスを攻撃した時、ウハート・ハーンは応昌にまで逃れ、この地で病死している。李文忠率いる明軍は洪武3年(1370年)に応昌を陥落させてマイダリ・バラらを捕虜とした。明朝はこの地に応昌衛を設置したが長続きせず、応昌城は廃墟となった[1]。
日本人の鳥居龍蔵はモンゴルの旅行中、ダライ・ノール及び応昌旧城を訪れている[2]。
熔岩による堰止湖である。面積は22,833㎡、平均水深は約5m、最も深い地点では13m、貯水量は16億㎥、湖水は貢格爾河を主要な水源とする。この他、周辺地帯にはダライ・ノールを源泉とする湧き水が存在する。
ダライ・ノール一帯は動植物が豊富で、魚類はフナやコイ等が生息する。鳥類はマガモ、サカツラガン、カモメ、ハクチョウ、マナヅル、タンチョウ等が生息する。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 箭内亙『蒙古史研究』刀江書院、1930年