ダンテ・ジョーンズ (アメリカンフットボール)
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Dante Jones | |||||||||
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基本情報 | |||||||||
ポジション | ラインバッカー | ||||||||
生年月日 | 1965年3月23日(59歳) | ||||||||
出身地 |
アメリカ合衆国 テキサス州ダラス | ||||||||
身長: | 6' 1" =約185.4cm | ||||||||
体重: | 235 lb =約106.6kg | ||||||||
経歴 | |||||||||
大学 | オクラホマ大学 | ||||||||
NFLドラフト | 1988年 / 2巡目全体51位 | ||||||||
初出場年 | 1988年 | ||||||||
初出場チーム | シカゴ・ベアーズ | ||||||||
所属歴 | |||||||||
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受賞歴・記録 | |||||||||
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NFL 通算成績 | |||||||||
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Player stats at PFR |
ダンテ・ジョーンズ(Dante Jones 1965年3月23日- )はテキサス州ダラス出身のアメリカンフットボール選手。NFLのシカゴ・ベアーズなどでプレーした。ポジションはラインバッカー。
オクラホマ大学では、バリー・スウィツァーヘッドコーチの下でプレーし[1]、2年次の1985年に全米チャンピオンとなった[2]。3年次のオレンジボウルではスペンサー・ティルマンとともにMVPに選ばれた[3]。4年次の1987年にビッグ・エイト・カンファレンスの最優秀守備選手に選ばれた[4]。
1988年のNFLドラフト2巡目でシカゴ・ベアーズに指名されて入団した。1992年まではわずか2試合でしか先発出場できなかったが、入団5年目の1993年、引退したマイク・シングレタリーの代わりに先発ミドルラインバッカーとなり[5]、この年チームトップの189タックル、4インターセプトをあげた。フリーエージェントとなった彼は、カンザスシティ・チーフスからのオファーも受けたが、1994年3月、ベアーズと2年270万ドルで再契約を果たした[6]。1995年3月7日にベアーズを解雇され、同年6月にデンバー・ブロンコスと契約を結んだ[4]、その年11月、ブロンコスから解雇された[7]。
脚注
[編集]- ^ Bob Hersom (1985年9月5日). “Dante Jones May Be OU's Best-Kept Secret”. NEWSOK. 2013年7月8日閲覧。
- ^ “1985 National Champions”. オクラホマ大学. 2013年7月8日閲覧。
- ^ “Orange Bowl History>1987”. オレンジボウル. 2014年1月5日閲覧。
- ^ a b “Dante Jones Signs With Broncos”. シカゴ・トリビューン (1995年6月6日). 2013年7月8日閲覧。
- ^ Fred Mitchell (1993年7月22日). “Bear Linebacking Puzzle Centers On Dante Jones”. シカゴ・トリビューン. 2013年7月8日閲覧。
- ^ Fred Mitchell (1994年3月10日). “Dante Jones Re-signs With Bears”. シカゴ・トリビューン. 2013年7月8日閲覧。
- ^ “BaseballArizona Diamondbacks: Named Buck Showalter...”. ボルチモア・サン (1995年11月16日). 2013年7月8日閲覧。
外部リンク
[編集]- 通算成績と情報 NFL.com, or Pro-Football-Reference