ダーネル・ドケット
Darnell Dockett | |||||||||||||
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基本情報 | |||||||||||||
ポジション |
ディフェンシブエンド ディフェンシブタックル | ||||||||||||
生年月日 | 1981年5月27日(43歳) | ||||||||||||
出身地 |
アメリカ合衆国 ジョージア州アトランタ | ||||||||||||
身長: | 6' 4" =約193cm | ||||||||||||
体重: | 290 lb =約131.5kg | ||||||||||||
経歴 | |||||||||||||
大学 | フロリダ州立大学 | ||||||||||||
NFLドラフト | 2004年 / 3巡目全体64位 | ||||||||||||
初出場年 | 2004年 | ||||||||||||
初出場チーム | アリゾナ・カージナルス | ||||||||||||
所属歴 | |||||||||||||
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受賞歴・記録 | |||||||||||||
プロボウル選出(3回) | |||||||||||||
2007・2009・2010 | |||||||||||||
NFL 通算成績 | |||||||||||||
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Player stats at PFR |
ダーネル・ドケット(Darnell Maurice Dockett 1981年3月27日 - )はジョージア州アトランタ出身の元アメリカンフットボール選手。ポジションはディフェンシブエンド、ディフェンシブタックル。
経歴
[編集]プロ入り前
[編集]13歳の時に母親が何者かに射殺され、その4ヶ月後には父親も癌で亡くなり、おじに育てられた[1]。
メリーランド州のペイントブランチ高校からフロリダ州立大学へ進み4年間で10.5サック、247タックル(大学記録となる65ロスタックル)を記録した[1]。3年次の2002年12月に万引きで逮捕されシュガーボウルを出場停止となった。社会奉仕活動などを行いチームに復帰した彼は4年次にアトランティック・コースト・カンファレンスの最優秀守備選手となったが素行などの評判が影響してかつてはNFLドラフト1巡目での指名が期待された[2]彼は、2004年のドラフトでは3巡目64位でアリゾナ・カージナルスに指名され入団した[3]。
この年のドラフトではラリー・フィッツジェラルド、カルロス・ダンスビー、アントニオ・スミスと彼の他にもチームの中心となる選手が指名されて入団した[1][4]。
アリゾナ・カージナルス
[編集]2008年12月7日のセントルイス・ラムズ戦ではスティーブン・ジャクソンがファンブルしたボールをリカバーしタッチダウンをあげた[5]。この試合の勝利でチームは1975年以来33年ぶりとなる地区優勝を果たした[5]。この試合で彼は喜びを表すセレブレーションパフォーマンスをしたことでNFLから1万ドルの罰金を命じられた[6]。シーズン最終週、シアトル・シーホークス戦ではマット・ハッセルベックのパスをインターセプトして勝利を決定づけた[1]。この年チームは地区優勝を果たし、第43回スーパーボウルで彼はベン・ロスリスバーガーをスーパーボウル記録タイとなる3回サックした[7][8]がチームは敗れた。その後チームに契約の見直しを要求、5月に行われたミニキャンプをアンクワン・ボールディンと共に欠席した[9]。
2009年、第14週のデンバー・ブロンコス戦ではダリル・ワシントンがインターセプトリターンし、ゴール前1ヤード地点でファンブルしたボールをリカバー、タッチダウンをあげた[10]。この年、51タックル、7.0サックの活躍を見せて[11]2度目のプロボウルに選出されたがジュリアス・ペッパーズ、ジェイ・ラトリフと背番号90がかぶった[12]。
2010年シーズン開幕前に2015年までの契約延長に合意した[11]。この年のNFCチャンピオンシップゲームで途中でサイドラインに下がったシカゴ・ベアーズのQBジェイ・カトラーに対して批判的なコメントをTwitterで行っている[13]。
2013年、4.5サックをあげて、NFL6位のチームディフェンスに貢献した[14]。
2004年から2013年までの10シーズン、160試合中わずか2試合しか欠場せず、156試合に先発出場した[14]。
2014年8月18日、練習中にACLを断裂し、シーズン絶望となった[14]。
2015年2月27日、680万ドルのサラリーキャップスペースを空けるため、カージナルスから解雇された[15]。
カージナルス退団後
[編集]2015年3月、サンフランシスコ・フォーティナイナーズと2年750万ドル(200万ドルの保証)で契約を結んだ[16]。しかし9月にリリースされた[17]。
2016年にカージナルスと1日契約を結び、現役から引退した[18]。
人物
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d e “Dockett Says He Forgives His Mother's Murderer”. Yahoo!スポーツ (2009年1月28日). 2010年4月29日閲覧。
- ^ ビル・マークレービッツ. “HOT OFF THE GRIDIRON #78「マイアミ大学ハリケーンズ、2連覇なるか?」”. NFL JAPAN. 2010年4月29日閲覧。
- ^ “チーム別ドラフト成功 -カーディナルス-”. NFL JAPAN (2013年4月9日). 2013年4月14日閲覧。
- ^ “躍進カーディナルスの中核に、2004年入団カルテット”. NFL JAPAN (2009年1月25日). 2010年4月29日閲覧。
- ^ a b “カーディナルス、圧勝で33年ぶりの地区制覇”. NFL JAPAN (2008年12月8日). 2010年4月29日閲覧。
- ^ “タイタンズCマワイら、ラフプレイや非紳士的行為で罰金”. NFL JAPAN (2008年12月13日). 2010年4月29日閲覧。
- ^ “Player Bio”. アリゾナ・カージナルス. 2010年4月29日閲覧。
- ^ “殿堂入り守備バックが選ぶ現役DTトップ5、1億ドル男は何位?”. NFL JAPAN (2009年6月30日). 2010年4月29日閲覧。
- ^ “契約見直し要求のDTドケット、トレーニングキャンプには参加”. NFL JAPAN (2009年7月7日). 2010年4月29日閲覧。
- ^ Mike Sando (2010年12月13日). “Darnell Dockett gives Cardinals NFL record”. ESPN. 2013年5月4日閲覧。
- ^ a b “カーディナルス、プロボウルDTドケットと契約延長”. NFL JAPAN (2010年9月2日). 2010年9月4日閲覧。
- ^ “守備ラインに背番号90が3人、ドケットの解決案は?”. NFL JAPAN (2010年1月28日). 2010年4月29日閲覧。
- ^ “Bears Fire Back At Jay Cutler's Critics”. huffingtonpost.com (2011年1月25日). 2012年12月15日閲覧。
- ^ a b c John Breech (2014年8月18日). “Cardinals DT Darnell Dockett out for 2014 after tearing ACL in practice”. CBSスポーツ. 2015年3月14日閲覧。
- ^ John Weinfuss (2015年2月27日). “Darnell Dockett released by Cardinals”. ESPN. 2015年3月14日閲覧。
- ^ Josh Weinfuss (2015年3月6日). “49ers sign Darnell Dockett”. ESPN. 2015年3月14日閲覧。
- ^ “49ers release Darnell Dockett”. NBC Sports (September 4, 2015). 2021年4月13日閲覧。
- ^ Orr, Conor (July 25, 2016). “Darnell Dockett retires after 10 seasons in NFL”. NFL.com. April 13, 2021閲覧。
外部リンク
[編集]- 公式ウェブサイト
- Darnell Dockett (@ddockett) - X(旧Twitter)
- 通算成績と情報 NFL.com, or ESPN, or Pro-Football-Reference
- ダーネル・ドケット - IMDb