チェニジー
チェニジーは、ジャッキを使わずに巻ける簡易着脱型タイヤチェーン。作家の安部公房が発明した。
概要
[編集]安部公房は、冬に仕事場のある箱根への往復など、タイヤチェーンを着脱する機会が多かった。通常のチェーンは、ジャッキアップして付けるかチェーンを道路に敷いてタイヤを転がすかしかなかったが、それは坂道や泥の雪道などでは不可能に近い。あれこれ試行錯誤しているうちに、梯子状の鎖の横棒を1本分ずらせばよいと思いついた[1]。「従来あるやつの長い方の2本の鎖を1段ずらし 短い方の1本をはずせるようにしてみたら かなりブキッチョな人でも10分で装着できた。[2]」と、車を動かさずにタイヤの上からかぶせて取り付けるチェーンを考え出した。
画像外部リンク | |
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タイヤチェーン「チェニジー」 | |
安部公房と車(pp.190-191) 「チェ二ジー」掲載ページ 平凡社 "生誕100年安部公房 21世紀文学の基軸" 書籍紹介ページ(2024年11月24日閲覧) |
1982年4月に実用新案を出願し、翌年10月に「昭58-150506」として公開された[3][4]。
1985年12月12日[5]から西武百貨店で試作品を実験的に300セット[6](あるいは400ケース[2])を売り出したところ、飛ぶように売れて完売した。このときから商品を「チェニジー」と命名。取り扱い説明書には「簡単でやさしい車のチェーン CHAIN+EASY=チェニジー」とある[7]。
チェニジーは、1986年5月5日[6]にニューヨークで開催された「第10回国際発明家エキスポ86」で銅賞を獲得[8]したと報じられた。ただしこれは「国際発明」と銘打っているものの、日本の発明家であるドクター中松こと中松義郎が会長となっている国際発明協会のコンテストであり、会場をニューヨークで開催したものであった[3]。安部は、商品発売元の西武の担当者に、出品を「なんとなくすすめてみただけ」[1]と語っている。
この西武百貨店とクラリオンの販売店を通じて、同年11月1日から本格的な販売がはじまった[9]。製造は椿本チエイン[3]。タイヤの幅に応じて12種類で、価格は付属品を含めて7000円から1万1000円[9]。3万セットを売り出す予定で、1つ売れるごとに100円前後が安部の手許に入る契約だったという[3]。
脚注
[編集]- ^ a b 「国際発明展で銅賞を受賞した作家安部公房ー上之郷利昭の取材現場」『週刊プレイボーイ』、集英社、1986年6月17日、42-46頁、大宅壮一文庫所蔵:200067910。
- ^ a b 「文豪とチェーンの、秘かな関係。」『週刊プレイボーイ』、集英社、1986年3月4日、186頁、大宅壮一文庫所蔵:200067895。
- ^ a b c d 鳥羽耕史『安部公房 消しゴムで書く』ミネルヴァ書房〈ミネルヴァ日本評伝選〉、2024年7月10日、319-320頁。ISBN 978-4-623-09782-1。
- ^ 「タイヤチエーン装置 - 実全昭58-150506」、特許情報プラットフォーム J-PlatPat。
- ^ 「作家・阿部公房さん 宣伝文も将来全集に?」『朝日新聞』1985年12月14日、夕刊 第2総合面、2面。
- ^ a b 「安部公房さん考案のタイヤチェーン」『朝日新聞』1986年5月7日、朝刊 第1社会面、23面。
- ^ 神奈川近代文学館、神奈川文学振興会 編『安部公房 : 生誕100年 : 21世紀文学の基軸(公式展示図録)』平凡社、2024年10月18日、190頁。ISBN 978-4-582-20737-8。 NCID BD09188485。
- ^ 人物年表(安部公房)
- ^ a b 「クラリオン、安部公房氏考案のチェーン発売」『朝日新聞』1986年10月23日、朝刊 第2経済面、8面。