チェビシェフの不等式
チェビシェフの不等式(チェビシェフのふとうしき、英: Chebyshev's inequality)は、不等式で表される、確率論の基本的な定理である。パフヌティ・チェビシェフによって初めて証明された。
標本または確率分布は、平均の周りに、ある標準偏差をもって分布する。この分布と標準偏差との間の、どのような標本・確率分布でも成り立つ関係を示したのが、チェビシェフの不等式である。例えば、平均から標準偏差の 2 倍以上離れた値は、全体の 1/4 以下である。一般に、標準偏差の n 倍以上離れた値は全体の 1/n2 以下である。
歴史
[編集]この定理はロシアの数学者パフヌティ・チェビシェフの名をつけられているが、最初にこの定理を示したのは彼の友人であり同僚でもあったIrénée-Jules Bienayméである[1]:98。
この定理は最初に1853年に Bienaymé によって証明され[2]、後の1867年にチェビシェフによってより一般的な形で証明された[3][4]。彼の教え子であるアンドレイ・マルコフは、1884年に博士論文の中で別証明を与えた[5]。
一般的表現
[編集]この不等式は測度論を使って一般的に述べることができ、それから特別の場合(測度空間の次元が 1)として、確率論での形が導かれる。
測度論的表現
[編集](X, Σ, μ) を測度空間、f を X 上で定義された拡張実数(無限大を含む)値可測関数とすると、任意の実数 t > 0 に対して
となる。より一般的には、g が非負実数値可測関数で、f の値域の範囲で減少しないとすれば、 と定義し
となる。最初の式は、ここで g(t) を
で定義し、f の代わりに |f| を用いれば導かれる。
確率論的表現
[編集]X を、期待値が μ, 有限の分散が σ2 である確率変数とすると、任意の実数 k > 0 に対して
ただし k > 1 の場合にだけ意味がある。
余事象について、こうなる。
例として、k = √2 を使えば、少なくとも半数の値は区間 (μ − √2σ, μ + √2σ) 内に存在することが分かる。
チェビシェフの不等式は大数の法則(弱法則)の証明に用いられるものとして特に重要である。
例
[編集]分かりやすい例として、大量の文章があるとしよう。それらの文章の長さは、平均 (μ) が 1000 文字であって、標準偏差 (σ) が 200 文字であることが分かっているとする。すると、チェビシェフの不等式から、次の事実が導かれる。
- 長さが 717 から 1282 文字の文章の割合は少なくとも 50% である(k = √2 の場合)。
- 長さが 600 から 1400 文字の文章の割合は少なくとも 75% である(k = 2 の場合)。
- 長さが 400 から 1600 文字の文章の割合は少なくとも 88% である(k = 3 の場合)。
- 長さが 200 から 1800 文字の文章の割合は少なくとも 93% である(k = 4 の場合)。
- 長さが 2000 文字以下の文章の割合は少なくとも 96% である(k = 5 の場合)。
もし文章の長さが正規分布に従っているなら、次がいえる。
- 長さが 770 から 1230 文字の文章 (μ − 1.15σ, μ + 1.15σ) の割合は 75% である。
- 長さが 717 から 1282 文字の文章 (μ − √2σ, μ + √2σ) の割合は 84% である。
- 長さが 600 から 1400 文字の文章 (μ − 2σ, μ + 2σ) の割合は 95% である。
証明
[編集]測度論的な証明
[編集]At を At = {x ∈ X | f(x) ≥ t} で定義すると
がすべてのに対して成り立つことより、
となる。上の不等式を g(t) で割れば、目的の不等式が得られる。
確率論的な証明
[編集]任意の実数確率変数 Y と任意の正の実数 a に対して、マルコフの不等式から Pr(|Y| > a) ≤ E(|Y|)/a が得られる。この不等式に Y = (X − μ)2, a = (σk)2 を適用すると、チェビシェフの不等式が導かれる。
また直接証明する方法もある。事象 A に対し IA が A の指示関数に従う確率変数である(つまり IA は A が起これば 1、そうでなければ 0)とする。すると
と証明される。
出典
[編集]- ^ Donald Knuth (1997). The Art of Computer Programming: Fundamental Algorithms, Volume 1 (3rd ed.). Reading, Massachusetts: Addison–Wesley. ISBN 978-0-201-89683-1 1 October 2012閲覧。
- ^ I.-J. Bienaymé (1853). “Considérations àl'appui de la découverte de Laplace”. Comptes Rendus de l'Académie des Sciences 37: 309–324.
- ^ P. Tchebichef (1867). “Des valeurs moyennes”. Journal de Mathématiques Pures et Appliquées. 2 12: 177–184.
- ^ Routledge, Richard. Chebyshev’s inequality. Encyclopedia Britannica
- ^ Markov A. (1884) On certain applications of algebraic continued fractions, Ph.D. thesis, St. Petersburg.