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チェルヴェニ (ミンスク州)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
St. Nicholas' Church in Červień (2019)

座標: 北緯53度42分28秒 東経28度25分56秒 / 北緯53.70778度 東経28.43222度 / 53.70778; 28.43222

チェルヴェニ (ミンスク州)の位置(ベラルーシ内)
チェルヴェニ (ミンスク州)

チェルヴェニベラルーシ語: Чэрвень)はベラルーシミンスク州の市(ホラド)である。チェルヴェニ地区(ru)の行政中心地。

地理

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州都ミンスクからみて南東に64kmの位置にある。またミンスクとマヒリョウを結ぶ幹線道路М4(ru)が付近を通る[注 1]。鉄道路線としては、ミンスクとアシポヴィチを結ぶ路線のプハヴィチ駅(ru)が最も近い。

市内をチェルヴェンカ川(旧称イフメンカ川)が流れる。

人口

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人口の変遷(概数を含む)は以下のとおりである。

  • 1897年:4573人
  • 1907年:5390人[1]
  • 1939年:6400人
  • 1959年:8200人
  • 1970年:10200人
  • 1991年:11600人[2]
  • 2006年:10100人
  • 2016年:9718人[3]

歴史

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1923年まで、チェルヴェニはイフメン(ロシア語:イグメン。以下、属する国家にかかわらず便宜上イグメンと記載する。)という名称だった[4]。イグメンに関する最初の言及は1387年の記録である。

15世紀前半、イグメンはリトアニア大公国のKęsgailos家(ru)の所領であり、1447年からヴィリニュス司教(lt)領となった。行政区画上は14世紀半ばよりポーランド・リトアニア共和国ミンスク県に属した。

1793年にロシア帝国領となると、メステチコ(大村)からゴロド(市)へと昇格し、イグメン郡(ru)の行政中心地となった。20世紀に入りソビエト連邦が成立すると、ライオン(地区)の行政中心地となった。1923年にチェルヴェニに改称された。

第二次世界大戦が始まると、1941年にナチス・ドイツ軍に占領された。在住のユダヤ人はゲットー(チェルヴェニ・ゲットー(ru))に送られ、1942年2月に全て殺害された。

ソビエト連邦の崩壊を経てベラルーシとなり、現在に至る。

出身者

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脚注

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注釈

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  1. ^ 「幹線道路М4」はロシア語: Магистраль М4の直訳による。
  2. ^ メダル獲得時はソビエト連邦国籍。ベラルーシ語名ヴァレルィー・シャルィン

出典

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  1. ^ Ihumeń // Шаблон:Крыніцы/Даведнік па Літве і Беларусі
  2. ^ Червень // Большая советская энциклопедия, 3-е изд.: в 30 т. / Гл. ред. А.М. Прохоров. — М.: Сов. энциклопедия, 1969—1978.
  3. ^ Численность населения на 1 января 2016 г. и среднегодовая численность населения за 2015 год по Республике Беларусь в разрезе областей, районов, городов и поселков городского типа.
  4. ^ Белорусская ССР, краткая энциклопедия, Том 1. — Белорус. сов. энциклопедия, 1979.