チコ・マルクス
チコ・マルクス Chico Marx | |
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1930年頃撮影 | |
本名 | Leonard Joseph Marx |
生年月日 | 1887年3月22日 |
没年月日 | 1961年10月11日(74歳没) |
出生地 | アメリカ合衆国・ニューヨーク州・ニューヨーク |
死没地 | アメリカ合衆国・カリフォルニア州・ロサンゼルス |
職業 | 俳優・コメディアン・音楽家 |
ジャンル | 映画・舞台 |
活動期間 | 1910年 - 1960年 |
配偶者 |
ベティ・カープ(1917年 - 1940年) メアリー・デ・ヴィタス(1958年 - ) |
著名な家族 |
ハーポ(弟) グルーチョ(弟) ガンモ(弟) ゼッポ(弟) |
主な作品 | |
『我輩はカモである』 『オペラは踊る』 |
レナード・ジョセフ・"チコ"・マルクス(Leonard Joseph "Chico" Marx、1887年3月22日 - 1961年10月11日)は、アメリカのコメディアン、俳優、音楽家。「マルクス兄弟」の長男として、舞台・映画に出演した。
来歴
[編集]1887年3月22日にニューヨークのマンハッタンで、ユダヤ系移民の家庭に生まれる[1]。貧しい家庭のために幼い頃から働きつつ、母ミニーのもとで芸能の訓練を積んでいった。1910年代以降、ハーポ、グルーチョ、ガンモ、ゼッポの4人の弟と共にヴォードヴィルの舞台に立ち、アメリカ各地で公演を行った。「チコ」という芸名は、「チキン("女性"のスラング)を追いかけ回す奴」に由来している[2]。
ブロードウェイでの成功ののち、ハーポ、グルーチョ、ゼッポと共にパラマウントと契約、映画に出演する。ヴォードヴィル時代から、チコは自身のキャラクターとして、イタリア人的な特徴を取り入れ、イタリア訛りのステレオタイプ的な人格を演じていた。映画内でのチコのキャラクターは、学はないが魅力的な詐欺師であることが多く、基本的にハーポのキャラクターと相棒の関係を築いていた。衣装としては、古ぼけた服と、チロル帽で個性を出していた。
また、チコはピアニストとしての才能が卓越しており、幼い頃からピアニストとしての収入を得ていた。映画でもチコのピアノ演奏は定番となり、ほとんどの作品でチコの演奏シーンが用意されている。指を銃に見立てて鍵盤を「撃つ」ように演奏するなど、独特の指使いで知られている。
ヴォードヴィル時代から兄弟のマネージャーをしていた母ミニーの死後、チコは代わってグループのマネージメントを担当していた[1]。パラマウントとの契約満了後にMGMと契約することを可能にしたのは、敏腕プロデューサーのアーヴィング・タルバーグとチコの間につながりがあったことである。
また、チコは生涯、ギャンブルの悪癖を抱えていた。彼はギャンブル依存により常に多額の借金を抱えた状態にあり、1946年の映画『マルクス捕物帖』は、その借金返済に充てるために制作されたものだった。
1949年に映画界から退いたのちは、ビッグバンドを率いたり、ときおりテレビに出演したりしていた。1961年10月11日、ハリウッドの自宅で動脈硬化で死去した[1]。
主な出演作品
[編集]- ココナッツ The Cocoanuts(1929年)
- けだもの組合 Animal Crackers(1930年)
- いんちき商売 Monkey Business(1931年)
- 御冗談でショ Horse Feathers(1932年)
- 我輩はカモである Duck Soup(1933年)
- オペラは踊る A Night at the Opera(1935年)
- マルクス一番乗り A Day at the Races(1937年)
- ルーム・サーヴィス Room Service(1938年)
- マルクス兄弟珍サーカス At the Circus(1939年)
- マルクスの二挺拳銃 Go West(1940年)
- マルクス兄弟デパート騒動 The Big Store(1941年)
- マルクス捕物帖 A Night In Casablanca(1946年)
- ラヴ・ハッピー Love Happy(1949年)
出典
[編集]- ^ a b c “Chico Marx, Stage and Film Comedian, Dies at 70. Oldest of 5 Brothers Took Role of Italian Piano Player. Team Business Manager”. New York Times: p. 29. (October 12, 1961) 2019年9月13日閲覧。
- ^ Groucho Live At Carnegie Hall