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張外龍

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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張 外龍
名前
カタカナ チャン ウェリョン
ラテン文字 Chang Woe-Ryong
ハングル 장외룡
基本情報
国籍 大韓民国の旗 大韓民国
生年月日 (1959-04-05) 1959年4月5日(65歳)
出身地 ソウル特別市
身長 178cm
選手情報
ポジション DF
利き足 右足
ユース
大韓民国の旗 延世大学校
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1982-1987 大韓民国の旗 釜山アイパーク 67 (0)
1989 日本の旗 PJMフューチャーズ
通算 67 (0)
代表歴
1979-1984 大韓民国の旗 韓国 30 (1)
監督歴
1995-1996 日本の旗 鳥栖フューチャーズ (暫定)
1999 大韓民国の旗 大宇ロイヤルズ (暫定)
2000 日本の旗 ヴェルディ川崎
2002 日本の旗 コンサドーレ札幌
2003 日本の旗 コンサドーレ札幌
2004-2006 大韓民国の旗 仁川ユナイテッドFC
2008 大韓民国の旗 仁川ユナイテッドFC
2009-2010 日本の旗 大宮アルディージャ
2011 中華人民共和国の旗 青島中能
2012 中華人民共和国の旗 大連阿爾濱
2012-2013 中華人民共和国の旗 青島中能
2016-2017 中華人民共和国の旗 重慶当代力帆
2018 中華人民共和国の旗 河南建業
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

張 外龍チャン・ウェリョン장외룡1959年4月5日 - )は、大韓民国・首都ソウル特別市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。

来歴

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韓国代表として、1982 FIFAワールドカップに出場。1986 FIFAワールドカップは予選で左ひざを負傷し、本大会には出場できなかった。この怪我により、翌年1987年に28歳で一時は引退したが、1989年にPJMフューチャーズにコーチ兼選手として入団した。

1999年に日本サッカー協会公認S級ライセンスを取得。2007年にはイギリスに留学。2009年から大宮アルディージャの指揮を執っていたが、2010年4月26日シーズン途中に成績不振のため辞任[1]

2011年から中国の青島中能監督に就任。2012年から大連阿爾濱の監督に就任したが、成績不振のため3カ月で解任。2012年に青島中能の監督に再度就任。2015年12月17日、重慶当代力帆の監督に就任。

2018年4月26日、河南建業足球倶楽部の監督に就任した。

エピソード

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  • 札幌時代、張はユース出身で当時売り出し中だったFWの新居辰基に対する期待が大きく、新居のことをフランチェスコ・トッティASローマ)の愛称になぞらえて「コンサドーレの王子」と称していた。だが、新居は張の期待に反して札幌では伸び悩んだまま、2004年8月に酒気帯び運転で事故を起こし解雇された。新居が本格的に開花するのはサガン鳥栖への移籍以降になった。
  • 2005年、仁川ユナイテッドFCを取り上げたドキュメンタリー映画『飛翔 Bisang』に出演している。この年仁川はプレーオフ進出という躍進を果たし、張はKリーグの最優秀監督賞を受賞した。
  • 自身がかぶるキャップには座右の銘や好きな言葉が書かれている。
  • 選手の誕生日にはケーキや花束の用意を欠かさないなど細かい気配りにこだわる。一方で礼儀に厳しく、グアムのホテルで偶然顔を合わせた際に、挨拶をしなかった小林大悟を叱責したことがある(二人の関係は高校時代の小林がヴェルディ川崎の練習に参加した時に会ったきりで、小林は張が自分を覚えていないだろうと思っていた。当時小林は海外移籍の話が進んでおり、結局この後に張の下でプレーすることはなかった)。
  • キリスト教の信者。勝利を挙げた試合後のインタビューは「神様へ感謝したい」の第一声から入るのが常である。
  • 日本語に堪能で、インタビューは日本語でこなす。

所属クラブ

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  • 1982年:大宇ロイヤルズ 入団
  • 1987年:大宇 2軍コーチ
  • 1988年:亜洲大学 コーチ
  • 1989年:PJMフューチャーズ コーチ兼選手
  • 1992年:PJM ユース監督
  • 1995年:鳥栖フューチャーズ トップチームコーチ監督代行
  • 1996年:鳥栖フューチャーズ サテライト監督兼下部組織総監督
  • 1997年 - 1999年:大宇ロイヤルズ トップチームコーチ
    • Kリーグ優勝(1997年)
  • 1999年:大宇ロイヤルズ 監督代行
  • 2000年:ヴェルディ川崎 監督
    • 実質的な指揮は総監督の李国秀が行った (李が日本サッカー協会のS級ライセンスを持っていないため)
  • 2001年:コンサドーレ札幌 コーチ
  • 2002年:コンサドーレ札幌 コーチ→監督(シーズン途中就任)
  • 2003年:コンサドーレ札幌 コーチ→監督(シーズン途中就任)
  • 2004年:仁川ユナイテッドFC ヘッドコーチ
  • 2004年 - 2006年:仁川ユナイテッドFC 監督
  • 2008年:仁川ユナイテッドFC 監督
  • 2009年 - 2010年:大宮アルディージャ 監督
  • 2011年:青島中能 監督
  • 2012年:大連阿爾濱 監督
  • 2012年 - 2013年:青島中能 監督
  • 2016年 - 2017年:重慶当代力帆 監督
  • 2018年:河南建業 監督

代表歴

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  • 1978年:ユース代表、アジアユース優勝
  • 1979年 - 1984年:韓国代表
  • 1980年:アジア選手権準優勝
  • 1981年:アジアオールスター代表

試合数

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  • 国際Aマッチ 28試合 1得点(1980年-1982年)[2]


韓国代表国際Aマッチ
出場得点
1980 9 0
1981 10 0
1982 9 1
通算 28 1

タイトル

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選手時代

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大宇ロイヤルズ
個人
  • Kリーグベストイレブン:2回(1983、1985)

監督時代

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個人
  • Kリーグ年間最優秀監督賞:1回(2005)

脚注

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  1. ^ 吉田太郎 (2010年4月27日). “大宮監督が電撃辞任”. ゲキサカ. https://web.gekisaka.jp/news/detail/?68061-54965-fl 2018年7月22日閲覧。 
  2. ^ 張外龍 - National-Football-Teams.com

関連項目

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外部リンク

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