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チャールズ・コンプトン (第7代ノーサンプトン伯爵)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ポンペオ・バトニ英語版による肖像画、1758年作、ローマにて。ケンブリッジ大学フィッツウィリアム美術館所蔵。

第7代ノーサンプトン伯爵チャールズ・コンプトン英語: Charles Compton, 7th Earl of Northampton DL1737年7月22日1763年10月18日)は、イギリスの貴族、外交官。

生涯

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第4代ノーサンプトン伯爵ジョージ・コンプトンの三男チャールズとメアリー・ルーシー(Mary Lucy)の長男として生まれ[1]ウェストミンスター・スクールで教育を受けた[2]。1758年、伯父にあたる第6代ノーサンプトン伯爵ジョージ・コンプトンの死去に伴いノーサンプトン伯爵の爵位を継承、ノーサンプトン市裁判所判事に選出された[3]。翌年、ノーサンプトンシャー副知事に任命された[2]

1761年のジョージ3世戴冠式では王杖を持つ役割だった[2]。1763年5月、ヴェネツィア共和国駐在イギリス大使英語版に任命された[2]

1763年10月に26歳で死去、妻とともにコンプトンの家族納骨所で埋葬された[3]。弟スペンサーが爵位を継承した[1]

家族

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ノーサンプトン伯爵夫人アン・サマセットの肖像画。ジャン=エティエンヌ・リオタールの作品とされる。

1759年9月13日、第4代ボーフォート公爵チャールズ・サマセットの長女アンと結婚[4]、1女をもうけた[1]。アンは1763年5月にナポリで死去した。

脚注

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  1. ^ a b c Burke's Peerage, Baronetage and Knightage (英語) (99th ed.). London: Burke's Peerage Limited. 1949. p. 1504.
  2. ^ a b c d Doyle, James Edmund (1886). The Official Baronage of England. vol. II. London: Longmans, Green & Co.. pp. 629 
  3. ^ a b Collins, Arthur (1812). Sir Egerton Brydges. ed. Collin's Peerage of England. vol. III. London: T. Bensley. pp. 262–263 
  4. ^ a b Debrett, John (1828). Debrett's Peerage of the United Kingdom of Great Britain and Ireland. vol. I (17th ed.). London: G. Woodfall. pp. 74 
外交職
先代
ジョン・マレー英語版
弁理公使として
ヴェネツィア共和国駐在イギリス大使英語版
1762年 – 1763年
次代
ジェームズ・ライト
弁理公使として
イングランドの爵位
先代
ジョージ・コンプトン
ノーサンプトン伯爵
第5期
1758年 – 1763年
次代
スペンサー・コンプトン