チャールズ・ジャーヴァス
チャールズ・ジャーヴァス Charles Jervas | |
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自画像(1725年頃) | |
生誕 |
1675年ころ アイルランド,オファリー |
死没 |
1739年11月2日 イギリス,ロンドン |
チャールズ・ジャーヴァス(Charles Jervas、姓は Jarvisとも、1675年ころ – 1739年11月2日)はアイルランド生まれの画家、美術品収集家である。ミゲル・デ・セルバンテスの小説、『ドン・キホーテ』の英語訳を行ったことでも知られる。
生涯
[編集]アイルランド中部のオファリーに地主の息子に生まれた[1]。母親は有力な役人の娘だった。ダブリンで育ち、幼い頃から絵の才能を示したので父親は、ジャーヴァスをロンドンに送り、宮廷画家のゴドフリー・ネラーのもとで修業させた。
1698年頃、収集家のジョージ・クラークのために『ラファエロのカルトン』の何点かを模写をして収入を得た後、家族の支援を受けて、翌年パリとローマに修業に出た。10年ほどの修業の後1709年にロンドンに戻った。
文学者のジョゼフ・アディソンやジョナサン・スウィフト、アレキサンダー・ポープや政治家のロバート・ウォルポールなど当時の有力な人物の肖像画を描き、有名な画家になった[2]。1723年に主席宮廷画家を務めていたゴドフリー・ネラーが亡くなると、後任として、国王ジョージ1世の宮廷画家に任じられた。ジョージ2世の王妃、キャロラインの肖像画などが知られている。
1727年に資産家の未亡人と結婚した。
1738年に王の命令で、イタリアに戻り、イタリアの巨匠たちの絵画を購入した。イタリアから戻ってほどなく病没した後、親族によって美術品のコレクションの競売が9日間に渡って行われた。
ジャーヴァスによる『ドン・キホーテ』の英訳本は没後の1742年に出版された。出版社のミスで著者名が「Charles Jarvis」とされたことで「ジャービス版ドン・キホーテ」と呼ばれる。トーマス・シェルトンによる翻訳よりも正確な訳だとされ、19世紀まで何度か再刊された[3].。
作品
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王妃キャロライン
脚注
[編集]- ^ Aspects of Irish Art. National Gallery of Ireland. Cahill & Co. 1974. Pg 109.
- ^ Ces deux derniers tableaux se trouvent aujourd'hui à la National Portrait Gallery de Londres.
- ^ Une version révisée a été publiée par Oxford Paperback en 1992 ISBN 0-19-282726-X puis reprise par l'Oxford University Press dans la collection « Oxford World's Classic » en 1998 ISBN 0-19-283483-5.
参考文献
[編集]- Alfred Webb, A Compendium of Irish Biography: Comprising Sketches of Distinguished Irishmen and of Eminent Persons Connected with Ireland by Office or by Their Writings, New York, Lemma Publishing Corporation, 1970.
宮廷職 | ||
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先代 ゴドフリー・ネラー |
主席宮廷画家 1723年 – 1739年 |
次代 ウィリアム・ケント |