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チャールズ・セシル (1619-1660)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

クランボーン子爵チャールズ・セシル英語: Charles Cecil, Viscount Cranborne KB1619年7月15日洗礼 – 1660年12月)は、清教徒革命期の政治家。短期議会長期議会ハートフォード選挙区英語版の代表として庶民院議員を務めた[1]第2代ソールズベリー伯爵ウィリアム・セシル法定推定相続人だったが、父に先立って死去した[1]

生涯

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第2代ソールズベリー伯爵ウィリアム・セシルと妻キャサリン英語版初代サフォーク伯爵トマス・ハワードと2人目の妻キャサリン英語版の娘)の次男(長男ジェームズは1616年に生まれ、同年に夭折した)として生まれ、1619年7月15日に洗礼を受けた[1]

1626年2月2日のチャールズ1世戴冠式でバス騎士団員に叙された[1]。1634年10月、ケンブリッジ大学セント・ジョンズ・カレッジに入学した[2]

1639年4月2日、ダイアナ・マクスウェル(Diana Maxwell、1623年ごろ – 1675年6月、初代ダールトン伯爵ジェームズ・マクスウェル英語版の娘)と結婚[1]、7男5女をもうけた[3]

議会派の一員であり、1640年に短期議会長期議会ハートフォード選挙区英語版から出馬して庶民院議員に当選、以降1648年まで議会活動の記録があったが[1]、1648年12月のプライドのパージで失職した[5]

1660年12月、父に先立って死去した[1]

出典

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  1. ^ a b c d e f g h Cokayne, George Edward; White, Geoffrey H., eds. (1949). The Complete Peerage, or a history of the House of Lords and all its members from the earliest times (Rickerton to Sisonby) (英語). Vol. 11 (2nd ed.). London: The St Catherine Press. pp. 406–407.
  2. ^ "Cecil, Charles, Viscount Cranborne. (CCL634C)". A Cambridge Alumni Database (英語). University of Cambridge.
  3. ^ a b c d e f g h i j k Burke, Sir Bernard; Burke, Ashworth Peter, eds. (1934). A Genealogical and Heraldic History of the Peerage and Baronetage, The Privy Council, and Knightage (英語). Vol. 2 (92nd ed.). London: Burke's Peerage, Ltd. p. 2090.
  4. ^ Paul, James Balfour, Sir, ed. (1908). The Scots Peerage (英語). Vol. V. Edinburgh: David Douglas. p. 228.
  5. ^ Edwards, E. R.; Jaggar, Geoffrey (1983). "CECIL, James, Visct. Cranborne (1646-83), of Hatfield, Herts.". In Henning, B. D. (ed.). The House of Commons 1660-1690 (英語). The History of Parliament Trust. 2024年2月14日閲覧
イングランド議会 (en
先代
ロッチフォード子爵英語版
サー・トマス・ファンショー英語版
庶民院議員(ハートフォード選挙区英語版選出)
1640年1648年
同職:サー・トマス・ファンショー英語版 1640年 – 1643年
ウィリアム・レマン英語版 1645年 – 1648年
次代
ウィリアム・レマン英語版