チャールズ・タウリー=ロウ (第3代エレンバラ男爵)
第3代エレンバラ男爵チャールズ・エドマンド・タウリー=ロウ(英語: Charles Edmund Towry-Law, 3rd Baron Ellenborough、出生名チャールズ・エドマンド・ロウ(Charles Edmund Law)、1820年11月17日 - 1890年10月9日)は、イギリスの貴族。
生涯
[編集]チャールズ・ユワン・ロウ閣下(1792年6月14日 – 1850年8月13日)と妻エリザベス・ソフィア(Elizabeth Sophia、旧姓ナイチンゲール(Nightingale)、1864年6月25日没、第10代準男爵サー・エドワード・ナイチンゲールの娘)の息子として、1820年11月17日に生まれた[1][2]。ウィンチェスター・カレッジで教育を受けた[1]。
1844年2月2日、コルネット(騎兵少尉)としての辞令を購入して、クイーンズ・ロイヤル・ランサーズ第9連隊に配属された[3]。第一次シク戦争の戦功でサトレジ・メダルを授与され[1]、1846年5月8日に第31歩兵連隊の中尉への辞令を購入して昇進した[4]。その後は一旦半給になるものの、1847年1月29日に第69歩兵連隊に転属する形で復帰した[5]。同年10月29日、第57歩兵連隊に転じた[6]。1851年12月26日に大尉への辞令を購入して昇進[7]、1854年7月7日に西インド第3連隊の少佐への辞令を購入して昇進した[8]。1855年1月5日、中佐への辞令を購入して昇進した[9]。1858年、大佐に昇進した[1]。
1871年12月22日に伯父エドワードが死去すると、エレンバラ男爵位を継承した[1]。政治では保守党に属した[1]。
1885年8月27日、国王の認可状を受けて父方の祖母の旧姓「タウリー」を姓に加えた[1]。
1890年10月9日にロンドンのバッキンガム・ゲート6号で死去、ケンサル・グリーン墓地に埋葬された[1]。息子チャールズ・タウリー・ハミルトンが爵位を継承した[1]。
家族
[編集]1840年11月23日、イリナ・セシル・ハワード(Eleanor Cecil Howard、1817年4月26日 – 1852年6月15日、第5代ウィックロー伯爵ウィリアム・ハワードの娘)と結婚したが[1]、2人の間に子供はいなかった[2]。
1855年6月28日、アン・エリザベス・デイ(Anne Elizabeth Day、1860年2月29日没、ジョン・フィッツジェラルド・デイの娘)と再婚[1]、1男をもうけた[2]。
- チャールズ・タウリー・ハミルトン(1856年4月21日 – 1902年6月26日) - 第4代エレンバラ男爵[1]
1863年8月26日、イザベラ・オグルビー(Isabella Ogilby、1874年4月22日没、アレクサンダー・オグルビーの娘)と再婚[1]、2女をもうけた[2]。
- ガートルード・イーディス(Gertrude Edith、1869年1月4日 – 1895年3月19日[2])
- エミリー・ジュリア(1872年12月9日 – 1926年11月21日) - 生涯未婚[10]
1874年12月1日、ビアトリス・ジョアンナ・ナッチブル(Beatrice Joanna Knatchbull、1932年5月17日没、第10代準男爵サー・ノートン・ジョセフ・ナッチブルの娘)と再婚した[1][11]。
出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l m n Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary; Doubleday, Herbert Arthur, eds. (1926). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Eardley of Spalding to Goojerat) (英語). Vol. 5 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. pp. 53–54.
- ^ a b c d e Burke, Sir Bernard; Burke, Ashworth P., eds. (1915). A Genealogical and Heraldic History of the Peerage and Baronetage, the Privy Council, Knightage and Companionage (英語) (77th ed.). London: Harrison & Sons. pp. 739–740.
- ^ "No. 20312". The London Gazette (英語). 2 February 1844. p. 351.
- ^ "No. 20602". The London Gazette (英語). 8 May 1846. p. 1682.
- ^ "No. 20696". The London Gazette (英語). 29 January 1847. p. 339.
- ^ "No. 20786". The London Gazette (英語). 29 October 1847. p. 3828.
- ^ "No. 21276". The London Gazette (英語). 26 December 1851. p. 3569.
- ^ "No. 21569". The London Gazette (英語). 7 July 1854. p. 2119.
- ^ "No. 21648". The London Gazette (英語). 5 January 1855. p. 37.
- ^ Pine, Leslie G., ed. (1956). Burke's Genealogical and Heraldic History of the Peerage, Baronetage and Knightage (英語) (101st ed.). London: Burke's Peerage Limited. p. 763.
- ^ Townend, Peter, ed. (1963). Burke's Genealogical and Heraldic History of the Peerage, Baronetage and Knightage (英語) (103rd ed.). London: Burke's Peerage Limited. p. 305.
外部リンク
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