チャールズ・フィンチ (第4代ウィンチルシー伯爵)
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第4代ウィンチルシー伯爵チャールズ・フィンチ(英語: Charles Finch, 4th Earl of Winchilsea PC、1672年9月26日 – 1712年8月16日)は、イギリスの貴族。1689年までメイドストーン子爵の儀礼称号を使用した[1]。
生涯
[編集]メイドストーン卿ウィリアム・フィンチ(1652年1月20日洗礼 – 1672年5月28日、第3代ウィンチルシー伯爵ヘニッジ・フィンチの長男)とエリザベス(Elizabeth、旧姓ウィンダム(Windham)、1696年5月10日没、トマス・ウィンダムの娘)の息子として、1672年9月26日に生まれた[2]。しかし、父ウィリアムはチャールズが生まれる前の1672年5月28日にソールベイの海戦で戦死した[1]。
1689年8月28日に祖父が死去すると、ウィンチルシー伯爵を継承[2]、1693年11月7日に貴族院議員に就任した[1]。その後、1702年9月から1703年3月までハノーファー駐在大使を、1702年から1705年まで五港副長官、ドーヴァー城副総督、ケント副提督を、1704年から1705年までケント統監を、1711年から1712年までに第一商務卿を務めた[1]。また、1711年6月14日に枢密顧問官に任命された[1]。政治ではトーリー党に属した[1]。
1712年8月16日にロンドンで死去、一人息子が夭折したため叔父ヘニッジが爵位を継承した[1]。
家族
[編集]1692年9月26/28日、サラ・ノース(Sarah Nourse、1735年10月29日没、ヘンリー・ノースの娘)と結婚、1男をもうけた[2]。
- チャールズ(1703年8月 – 1705年[1])
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h Cokayne, G. E. (1959). White, Geoffrey H. (ed.). The Complete Peerage, or a history of the House of Lords and all its members from the earliest times, volume XII part 2: Tracton to Zouche (英語). Vol. 12 (2nd ed.). London: The St Catherine Press. pp. 779–780.
- ^ a b c Burke's Peerage, Baronetage and Knightage (英語) (99th ed.). London: Burke's Peerage Limited. 1949. pp. 2155–2156.
公職 | ||
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先代 スタンフォード伯爵 |
第一商務卿 1711年 – 1712年 |
次代 ギルフォード男爵 |
名誉職 | ||
先代 ロムニー伯爵 |
ケント統監 ケント首席治安判事 1704年 – 1705年 |
次代 ロッキンガム男爵 |
ケント副提督 1702年 – 1705年 | ||
イングランドの爵位 | ||
先代 ヘニッジ・フィンチ |
ウィンチルシー伯爵 1689年 – 1712年 |
次代 ヘニッジ・フィンチ |