チャールズ・ライアン (第6代ストラスモア=キングホーン伯爵)
第6代ストラスモア=キングホーン伯爵チャールズ・ライアン(英語: Charles Lyon, 6th Earl of Strathmore and Kinghorne、1699年7月12日(洗礼日) – 1728年5月11日)は、スコットランド貴族。
生涯
[編集]第4代ストラスモア=キングホーン伯爵ジョン・ライアンとエリザベス・スタンホープ(第2代チェスターフィールド伯爵フィリップ・スタンホープの娘)の四男として生まれ、1699年7月12日に洗礼を受けた[1]。
1715年11月18日に兄ジョンがシェリフミュアの戦いで戦死すると、ストラスモア=キングホーン伯爵の爵位を継承した[1]。
1728年5月9日、酒に酔ったジェームズ・カーネギー・オブ・フィンヘイヴンら2人の喧嘩の最中、カーネギーが剣を抜いてケンカ相手のライアン・オブ・ブリッジトン(Lyon of Bridgeton)にさしかかったが、2人の間に割り入ったストラスモア=キングホーン伯爵を誤って刺してしまい、ストラスモア=キングホーン伯爵は重傷を負った。伯爵は2日後の1728年5月11日に死去、弟ジェームズが爵位を継承した[1]。カーネギーは殺人罪で起訴され、故殺罪への軽減も拒否されたが、カーネギーに伯爵への殺意がなかったため無罪となった。
家族
[編集]1725年7月25日、スーザン・コクラン(1754年6月23日没、第4代ダンドナルド伯爵ジョン・コクランの娘)と結婚したが、2人の間に子供はいなかった[1]。
第6代ストラスモア=キングホーン伯爵の死後、スーザンは1745年4月2日にジョージ・フォーブス(George Forbes)と再婚、1750年代にパリの修道院で死去した[2]。
脚注
[編集]- ^ a b c d Burke's Peerage, Baronetage and Knightage (英語) (99th ed.). London: Burke's Peerage Limited. 1949. p. 1925.
- ^ Cokayne, George Edward, ed. (1896). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (S to T) (英語). Vol. 7 (1st ed.). London: George Bell & Sons. p. 289.
スコットランドの爵位 | ||
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先代 ジョン・ライアン |
ストラスモア=キングホーン伯爵 1715年 – 1728年 |
次代 ジェームズ・ライアン |