チャールズ・L・シュルツ
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撮影時期不詳 | |
生誕 |
1924年12月12日 アメリカ合衆国、バージニア州アレクサンドリア |
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死没 |
2016年9月27日(91歳没) アメリカ合衆国、ワシントンD.C. |
国籍 | アメリカ合衆国 |
研究機関 |
インディアナ大学 ブルッキングス研究所 |
母校 |
ジョージタウン大学 メリーランド大学カレッジパーク校 |
チャールズ・ルイス・シュルツ(英語: Charles Louis Schultze、1924年12月12日 - 2016年9月27日)は、アメリカ合衆国の経済学者。
行政管理予算局長、大統領経済諮問委員会委員長、ブルッキングス研究所などで活躍した。
略歴
[編集]- 1924年 バージニア州アレクサンドリアで生まれる。
- ゴンザーガ・カレッジ高校を卒業する。
- 1948年 ジョージタウン大学を卒業する(経済学)。
- 1950年 ジョージタウン大学から経済学の修士を得る。
- 1960年 メリーランド大学カレッジパーク校からPh.D.を得る。
- 1959年~1962年 インディアナ大学の経済学准教授となる。
- 1962年 ジョン・F・ケネディ大統領による予算局の局長補佐となる。
- 1965年6月1日~1968年1月28日 リンドン・ジョンソン大統領の行政管理予算局長となる。
- 1968年~1977年 ブルッキングス研究所エコノミック・スタディーのシニアフェローとなる。
- 1977年1月22日~1981年1月20日 ジミー・カーター大統領の大統領経済諮問委員会委員長となる。
- 1981年~1987年 再びブルッキングス研究所エコノミック・スタディーのシニアフェローとなる。
- 1984年 アメリカ経済学会会長となる。
- 1987年~1990年 ブルッキングス研究所エコノミック・スタディーの理事となる。
- 1997年 ブルッキングス研究所エコノミック・スタディー・プログラムの名誉シニアフェロー(The John C. and Nancy D. Whitehead Chair)となる。
- 2016年 ワシントンD.C.で死亡。死因は敗血症。晩年は認知症の症状がみられた[1]。
著作
[編集]日本語訳
[編集]- 『年次別部門別資本額表:「投資・資本ストックと経済成長」付属統計表』、経済企画庁経済研究所、1962年
- 『国民所得分析』(現代経済学叢書)、塩野谷祐一訳、東洋経済新報社、1965年
- 『PPBSと予算の意思決定』、大川政三・加藤隆司共訳、日本経営出版会、1971年
原書
[編集]- Setting Domestic Priorities: What Can Government Do?, co-edited with Henry J. Aaron, Brookings, 1992
- Memos to the President: A Guide through Macroeconomics for the Busy Policymaker, Brookings, 1992
- An American Trade Strategy: Options for the 1990s, co-edited with Robert Z. Lawrence(Brooking Senior Fellow), Brookings, 1990
- American Living Standards: Threats and Challenges, co-edited with Robert Z. Lawrence and Robert E. Litan, Brookings, 1988
- Barriers to European Growth: A Transatlantic View, with Robert Z. Lawrence, Brookings, 1987
- Economic Choices 1887, Brookings, 1986
- Other Times, Other Places, Brookings, 1986
- The Public Use of Private Interest, Brookings, 1977
脚注
[編集]- ^ Cowan, Edward (2016年9月27日). “Charles L. Schultze, economist in two Democratic administrations, dies at 91”. Washington Post 2017年5月31日閲覧。
先代 カーミット・ゴードン |
アメリカ合衆国行政管理予算局長 1965年 - 1968年 |
次代 チャールズ・ズウィック |
先代 アラン・グリーンスパン |
大統領経済諮問委員会委員長 1977年 - 1981年 |
次代 マレー・ワイデンバウム |