ツィガーニ・デジェー
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ツィガーニ・デジェー Czigány Dezső | |
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自画像(1912年) | |
生誕 |
1883年6月1日 ブダペスト |
死没 |
1937年12月31日 ブダペスト |
ツィガーニ・デジェー、本名、ヴィマー・デジェー(Czigány Dezső、本名: Wimmer Dezső 、1883年6月1日 - 1937年12月31日)は、ハンガリーの画家である。
略歴
[編集]ブダペストで生まれた。17歳になった1900年から、Czigányを作品の署名として用いるようになった(ハンガリー語の "czigány"はジプシーの意)。ブダペストで学んだ後、ミュンヘン美術院で学び、ハンガリーの芸術家村だったナジバーニャ(Nagybánya:現バヤ・マレ)で ホローシ・シモン(Hollósy Simon: 1857-1918)に学んだ。1904年にパリに留学し、しばらくアカデミー・ジュリアンでジャン=ポール・ローランスに学んだ。ポール・セザンヌやポール・ゴーギャン、アンリ・マチス、フェリックス・ヴァロットンらの作品から影響を受けた。
パリでは、ハンガリーの有名な詩人のアディ・エンドレと親しくなり、その後何度かアディの肖像画を描いた[1] 。1906年の春、フランスのアンデパンダン展に出展した[2]。その年、ブダペストに戻った。ハンガリーの前衛画家たちの美術グループ、「 Nyolcak(英語訳:the Eight)」に参加したが、前衛的な作品は批評家たちから酷評を受けた。ハンガリーのもうひとつの芸術家村、ケチケメートで活動した。
第一次世界大戦後はフランスに住み、1927年にハンガリーに戻った。ブダペストの友人のスタジオで、南フランスの風景を集めた展覧会を開催した。
うつ病を病んで、1937年に発作に見舞われたツィガーニは、妻と娘、孫を殺害した後、自殺した。
作品
[編集]-
少女像 (1903)
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果物のある静物画 (1910)
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風景画 (1906/1908)
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静物画
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子供の埋葬(1910)
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1920年代の風景画
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風景画 (1926/1927)
脚注
[編集]参考文献
[編集]- É. Hollósi: Czigány, Dezső. In: Allgemeines Künstlerlexikon. Die Bildenden Künstler aller Zeiten und Völker (AKL). Band 23, Saur, München u. a. 1999, ISBN 3-598-22763-9, S. 310 f.
- Horváth Béla: Czigány Dezső Ady-képei. (Die Ady-Bilder von Dezső Czigány.) Budapest, Magvető. 1977. ISBN 963-270-616-1
- Rum Attila: Czigány Dezső. Budapest, Privatausgabe, 2004. ISBN 963-430-929-1
- Gergely Barki, Evelyn Benesch, Zoltán Rockenbauer: Die Acht. A Nyolcak. Ungarns Highway in die Moderne. Wien, Deutscher Kunstverlag, 2012. ISBN 978-3-422-07157-5
- Gergely Barki, Zoltán Rockenbauer: Die Acht – Der Akt. Ausstellungskatalog. Budapest, Balassi-Institut, 2012. ISBN 978-963-89583-4-1