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ティリス・アル・ガルビーヤ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
西ティリス
تيرس الغربية
スペイン領サハラ 1975年 - 1979年 南部諸州
ラス・ヌアディブ
フリーゾーン (地域)
ティリス・アル・ガルビーヤの国旗 ティリス・アル・ガルビーヤの国章
国旗国章
国歌: نشيد وطني موريتاني
モーリタニア国歌
ティリス・アル・ガルビーヤの位置
青と緑の縞模様が西ティリス
首都 ダフラ
大統領
1975年 - 1978年 モクタル・ウルド・ダッダ
1978年 - 1979年ムスタファ・ウルド・サレク
面積
1977年88,000km²
人口
1977年12,897人
変遷
マドリード協定締結 1975年11月14日
モーリタニアによる侵攻1975年11月27日
スペイン領サハラの分割1976年4月14日
モーリタニアの撤退1979年8月5日
モロッコによる併合1979年8月11日

ティリス・アル=ガルビーヤ(Tiris_al-Gharbiyya、アラビア語: تيرس الغربية‎)は、西サハラに存在したモーリタニアである。

解説

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1975年マドリード協定を締結した後、モーリタニアは旧スペイン領サハラ南部3分の1を併合し、モロッコは北部3分の2を南部諸州として併合した[1]。モーリタニア、モロッコ、そして西サハラに於ける独立国家建設を目指すポリサリオ戦線との間で西サハラ戦争英語版が続いており、モーリタニアはフランスからの支援を受けていた。しかし、1978年にモーリタニアの首都ヌアクショットにてクーデターが発生し、ムスタファ・ウルド・サレク大統領が失脚したことで[2]、政府とポリサリオ戦線との間で停戦協定が結ばれ、翌年にモーリタニアは領有権を放棄し、占領地から撤退した。

尚、モーリタニア撤退後はモロッコが領有権を主張し、軍事侵攻した後併合した[3]

脚注

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  1. ^ “Le Maroc et la Mauritanie délimitent leur frontière au Sahara occidental” (フランス語). Le Monde.fr. (1976年4月16日). https://www.lemonde.fr/archives/article/1976/04/16/le-maroc-et-la-mauritanie-delimitent-leur-frontiere-au-sahara-occidental_2970185_1819218.html 2024年2月18日閲覧。 
  2. ^ “Mauritanian President Overthrown in Military Coup” (英語). Washington Post. (2023年12月21日). ISSN 0190-8286. https://www.washingtonpost.com/archive/politics/1978/07/11/mauritanian-president-overthrown-in-military-coup/ba4387a3-4583-4c92-9ad4-bbf9cce386b9/ 2024年2月18日閲覧。 
  3. ^ “Le Maroc a annexé le territoire évacué par la Mauritanie” (フランス語). Le Monde.fr. (1979年8月16日). https://www.lemonde.fr/archives/article/1979/08/16/le-maroc-a-annexe-le-territoire-evacue-par-la-mauritanie_2772514_1819218.html 2024年2月18日閲覧。