テクノネット大阪
テクノネット大阪 | |
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原語表記 | テクノネット大阪 |
呼称 | テクノネット大阪 |
愛称 | テクノネット |
クラブカラー |
青 オレンジ |
創設年 | 1997年 |
所属リーグ | 大阪府社会人サッカーリーグ |
所属ディビジョン | 2部 |
ホームタウン | 大阪府大阪市 |
代表者 | 渡邊勲 |
監督 | 籔内正浩 |
■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ |
テクノネット大阪(テクノネットおおさか、Technonet OSAKA)は、大阪府大阪市にあるサッカークラブチームである。
概要
[編集]1997年に、大阪市のジュニアサッカークラブ「FC鴫野」のトップチームとしてテクノネット大阪FCを結成、JFLを目指す。クラブ名はオフィシャルスポンサーの有限会社セントラル・テクノネットから。
2002年から2004年にかけて大阪府社会人サッカーリーグ1部で3連覇し、2004年の関西府県サッカーリーグ決勝大会予選リーグを1位通過。翌年から創設された関西サッカーリーグ2部への昇格を果たす。
2006年シーズン開幕前、翌2007年からホームタウンを移転し東大阪市を中心にJリーグ入りを目指してFCディスポルト大阪へ改称すると発表。近鉄花園ラグビー場(現・東大阪市花園ラグビー場)での活動を目指したものの、自治体の協力を得られずこれを撤回[注釈 1]。この年は関西リーグ2部で優勝を果たし1部昇格を決めるものの、同年11月に新たにホームタウンを柏原市へ移してFCグラスポkashiwaraへ改称[注釈 2]、柏原市など大阪東部を拠点として再びJリーグ入りを目指すとした。改称初年度の2007年は関西リーグ1部で1勝もできず1年で2部降格となる。
2009年、今度は堺市へホームタウンを移転してFC堺へ改称、「NPO法人堺スポーツクラブ」を設立して総合型スポーツクラブを目指す。堺市は政令指定都市に移行(大阪府で2番目)し、またサッカーナショナルトレーニングセンターの建設が進むなどスポーツに力を入れたいと考えており、クラブと利害が一致したことによるものだった。ところが同年12月21日、4回目のホームタウンの移転とクラブ名改称を発表する。今度はクラブ創設の地である大阪市に移転、テクノネット大阪として再出発することを発表した[注釈 3]。なおNPO法人堺スポーツクラブは存続し、スポーツイベントなどを行うNPO法人として今日まで活動を行っている。
2010年には関西リーグ2部で最下位となり、大阪府リーグ1部に降格。以来、大阪府リーグで活動している。
戦績
[編集]リーグ戦
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
年度 | 所属 | 順位 | 勝点 | 試合 | 勝 | 分 | 敗 | 得点 | 失点 | 差 | 監督 | クラブ名 |
2002 | 大阪府1部Bブロック | 2位 | 14 | 7 | 4 | 2 | 1 | 19 | 9 | 10 | テクノネット大阪FC | |
2003 | 大阪府1部 | 優勝 | 34 | 14 | 11 | 1 | 2 | 38 | 17 | 21 | ||
2004 | 優勝 | 18 | 7 | 6 | 0 | 1 | 20 | 5 | 15 | |||
2005 | 関西2部 | 4位 | 26 | 14 | 8 | 2 | 4 | 35 | 23 | 12 | 渡邊勲 | |
2006 | 優勝 | 35 | 14 | 11 | 2 | 1 | 30 | 13 | 17 | FCディスポルト大阪→FCグラスポkashiwara[注釈 4] | ||
2007 | 関西1部 | 8位 | 2 | 14 | 0 | 2 | 12 | 12 | 44 | -32 | FCグラスポkashiwara | |
2008 | 関西2部 | 5位 | 21 | 14 | 7 | 0 | 7 | 31 | 28 | 3 | ||
2009 | 4位 | 23 | 14 | 6 | 5 | 3 | 27 | 18 | 9 | 浅岡朝泰 | FC堺 | |
2010 | 8位 | 8 | 14 | 2 | 2 | 10 | 16 | 38 | -22 | 米田俊二 | テクノネット大阪 | |
2011 | 大阪府1部 | 4位 | 27 | 15 | 8 | 3 | 4 | 36 | 28 | 8 | ||
2012 | 3位 | 30 | 15 | 9 | 3 | 3 | 40 | 23 | 17 | |||
2013 | 7位 | 24 | 15 | 7 | 3 | 5 | 43 | 31 | 12 | |||
2014 | 8位 | 22 | 15 | 7 | 1 | 7 | 43 | 39 | 27 | |||
2015 | 6位 | 31 | 15 | 10 | 1 | 4 | 43 | 28 | 15 | |||
2016 | 2位 | 29 | 15 | 9 | 2 | 4 | 37 | 28 | 9 | |||
2017 | 3位 | 33 | 15 | 11 | 0 | 4 | 47 | 24 | 23 | |||
2018 | 9位 | 20 | 15 | 6 | 7 | 2 | 23 | 28 | -5 | |||
2019 | 7位 | 24 | 15 | 7 | 3 | 5 | 27 | 31 | -4 | |||
2020 | 14位 | 12 | 15 | 3 | 3 | 9 | 18 | 35 | -17 | |||
2021 | 大阪府2部Bブロック | 6位 | 13 | 9 | 4 | 1 | 4 | 18 | 19 | -1 | 籔内正浩 | |
2022 | 大阪府2部Cブロック | 2位 | 18 | 9 | 6 | 0 | 3 | 16 | 13 | 3 | ||
2023 | 大阪府2部Bブロック | 2位 | 19 | 9 | 6 | 1 | 2 | 19 | 11 | 8 |
タイトル
[編集]リーグ戦
[編集]- 関西サッカーリーグ2部:1回
- 2006年
- 大阪府社会人サッカーリーグ1部:3回
- 2002年、2003年、2004年
ユニフォーム
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クラブカラー
[編集]- 青、 オレンジ
ユニフォームスポンサー
[編集]掲出箇所 | スポンサー名 | 表記 | 掲出年 | 備考 |
胸 | ワタナベコーヒー | Watanabe coffee | 2013年 - | |
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鎖骨 | なし | - | - | |
背中上部 | 柔之道整骨院 | 柔之道整骨院 | ||
背中下部 | なし | - | - | |
袖 | なし | - | - | |
パンツ | なし | - | - |
ユニフォームサプライヤー
[編集]歴代ユニフォームスポンサー年表
[編集]年度 | 胸 | 鎖骨 | 背中上部 | 背中下部 | 袖 | パンツ | サプライヤー |
2013 | Watanabe coffee | - | 柔之道整骨院 | - | - | CTN CENTRAL TECHNONET(上) かちむしはり・きゅう整骨院(下) |
GAViC |
2014 | |||||||
2015 | |||||||
2016 | ElesAs | ||||||
2017 | |||||||
2018 | - | LeeaD | |||||
2019 |
関連項目
[編集]注釈
[編集]- ^ その後、東大阪市残留組が新たにFCディスポルト大阪を創設、後に東大阪市のアンダー世代対象のサッカークラブ「FCB2」と合併、2011年にFCB2ディスポルト大阪に改称してJリーグ入りを目指している。
- ^ 「グラスポ」とは、柏原市の名産品「河内ぶどう」から、同市と姉妹都市提携を結んでいるイタリアのグロッセートの常用語イタリア語で「ブドウの房」を意味する「グラスポ(graspo)」に由来し、1つのぶどうの「粒」が集約してぶどうの「房」となる様を、サッカー選手一人一人が力を合わせてチームを形成する様に見立て、「結束力」を表現している。また、英語で「剣闘士」を意味する「グラディエーター(gladiator)」と「スポーツ(sports)」を掛け合わせ「スポーツを制し闘う者」という意味を込めた造語でもある(所謂、ダブル・ミーニング)[1]。
- ^ 「テクノネット」とは「テクニック(technic)」と「ネット(net)」を組み合わせた造語で、様々なテクニック(技術)いわば個性を集約するネット(網)、即ち「集団組織」を意味する造語[2]。
- ^ この年は「テクノネット大阪FC」としてリーグに参戦した。