テッブス・ロイド=ジョンソン
獲得メダル | ||
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イギリス | ||
陸上競技 | ||
オリンピック | ||
銅 | 1948 ロンドン | 男子 50km競歩 |
テッブス・ロイド=ジョンソン(Terrence 'Tebbs' Lloyd-Johnson、1900年4月7日 - 1984年12月26日)は、イギリスの陸上競技選手。1920年代から1940年代にかけて活躍した競歩選手。1948年ロンドンオリンピックの男子50km競歩銅メダリストである。レスターシャー、メルトン・モーブレイ出身。
経歴
[編集]ジョンソンは、1921年に、バーミンガムで行われた2マイルの競歩のハンディキャップレースに出場。この大会が、ジョンソンの40年にわたる競歩選手としてのスタートとなった。地元レスターシャーの陸上クラブのメンバーとして、1923年と1924年の英国選手権の20マイルで3位。1925年の20マイルでは2位となる。また、1926年の3マイルのトラックレースでも3位となっており、距離への適応柔軟性を見せ付けた。そして、1927年の英国選手権の20マイル(2時間55分53秒)でついに初優勝を果たした。
1924年パリオリンピックで行われた10000m競歩は判定をめぐりトラブルが巻き起こり、1928年アムステルダムオリンピックでは競歩はオリンピックの種目からはずされることとなった。しかし、イギリスやイタリアなどのからの強い働きかけもあり、1932年ロサンゼルスオリンピックでは、トラックからロードに場所を移し、50km競歩として復活することとなった。
ジョンソンは、ロサンゼルスオリンピックへの出場を熱望していた。英国選手権では、1928年、1930年の20マイルで2位、1931年には20マイルと50kmの2冠を達成。1932年の50kmではイタリアの選手に次いで2位と、オリンピック代表に選ばれてもおかしくない成績を残していたが、オリンピックに派遣されたのは50kmロードの世界最高記録保持者であったトーマス・グリーン1人であった。オリンピックに出場したグリーンは金メダルを獲得している。
ジョンソンは、1932年以降、英国選手権の20マイル、50kmの表彰台の常連となっていく。1934年の50km競歩では4時間36分30秒の好タイムで優勝。1936年ベルリンオリンピックでは、ライバルであったハロルド・ホイットロックとともに初めてのオリンピック代表に選ばれた。しかし、オリンピック出場のためベルリンに向かう途中、激しい船酔いに襲われ体調を崩し、レースまでに体調は戻らず、50km競歩では4時間54分56秒で17位に終わった。一方、ホイットロックは前回ロサンゼルスオリンピックの優勝タイムを20分以上も上回る記録で金メダルを獲得している。
ジョンソンは、1937年に一度引退したものの、現役に復帰。第二次世界大戦中も練習を積み重ね、戦後、1946年の英国選手権では、20マイルで3位。団体でもレスターシャーWCを優勝に導いた。そして、2年後の1948年には、ロンドンオリンピックの選考を兼ねた英国選手権の50kmで、自己ベストとなる4時間36分2秒をマークし2位となり、48歳にして2度目のオリンピック出場権を獲得した。
50km競歩が行われた7月31日は、猛暑の中で行われた。レースは、スウェーデンチャンピオンのヨーン・リュングレンが序盤から飛び出し、5km地点で後続に40秒もの差をつけ独歩態勢に入ると、中間点を2時間12分17秒で通過したときには5分近い大差となっていた。ジョンソンは中間点を2時間21分12秒の5位で通過した。リュングレンはさらに差を広げ、2位に7分もの大差をつけ1着でゴール。次いでスタジアムに入ってきたのはジョンソンであった。最後スタジアム内でスイスのガストン・ゴーデルに抜かれたものの3位でゴール。48歳15日というオリンピックの陸上競技史上最高齢のメダリストに輝いた。
ジョンソンはその後も競技を続け、59歳で出場した国内の競技会の50km競歩で、5時間11分15秒という記録を残し優勝を果たしている。