テミルタウ
テミルタウ Теміртау Темиртау | ||
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テミルタウの共和国通り。 | ||
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座標:北緯50度06分 東経72度57分 / 北緯50.100度 東経72.950度 | ||
国 | カザフスタン | |
州 | カラガンダ州 | |
人口 (2009) | ||
• 合計 | 169,590人 |
テミルタウ(カザフ語: Теміртау; ロシア語: Темиртау; 英語: Temirtau)は、カザフスタンのカラガンダ州に位置する鉱工業都市。人口は、1999年の国勢調査の 17万481人から 21万590人(2015年時点)に増加している。
この都市は、カラガンダの北西、ヌラ川(サマルカンド貯水池)に臨む所に位置し旧称はサマルカンドスキーという。
歴史
[編集]当地へ最初に入植したのは、サマーラから移住した40家族で(ストルイピン改革を参照)、1905年6月15日にヌラ川の左岸を開いた[1]。その土地は川の対岸にあった丘の名から「シャウル」(Жаур, Zhaur)と名付けられ、1909年にサマルカンドスキー(Самаркандский, Samarkandskiy[2])と改称すると「サマルカンド」と略称されるようになった。最初の学校と病院は、それぞれ1911年に創設された[1]。
サマルカンドは、1945年10月1日に市に昇格し、カザフ語で「鉄の山」を意味するテミルタウと改称された[1]。1947年から1949年にかけて、日本人捕虜の収容施設[注釈 1]が市街地の近くに設けられた[1]。
鉱業
[編集]1933年、サマルカンドスキー=カラガンダ間に運河が建設され、カラガンダ炭田の開発が一層進むこととなった[1]。1939年にはヌラ川を堰き止めて、高さ20m、幅300mのダム (北緯50度06分17秒 東経72度55分08秒 / 北緯50.10472度 東経72.91889度) とサマルカンド貯水池を設け、その後1961年まで存続することとなった[1]。カラガンダ州地方発電所の建設は1934年に始まり、最初のタービンの稼働は1942年であった。1944年、まだ建設の途中で完成前のカザフ製鉄所が平炉(シーメンズ=マルタン炉)による鋼鉄の生産を始めた。1号高炉は1960年、最初の鋳鉄を生産した[3]。
1950年、カラガンダ製鋼所が創設された。その建設に際し、ソビエト連邦は「全国高度集中建設計画」を宣言し、多数の若い突撃作業班(ウダルニク)がソビエト全土や同盟国から集められ、ブルガリアからも多数が動員された。1959年には、労働者たちの暴動や蜂起が起こったが、彼らの不満を募らせた行政の失策とは、極めて劣悪な労働と生活の条件、飲料水や食料、物資や道具類その他の資源の供給途絶に及んだ。衝突の中で16名の労働者が死亡し、37名が負傷、70名が逮捕されて有罪とされた。警察側も28名の負傷者を出した[4][5][6][注釈 2]。
1995年、カラガンダ製鋼所は売却されるとイスパット・インターナショナル傘下の「イスパット=カーメット」と改称、さらに変遷を経て現在は「ミッタル・スチール・テミルタウ」[8][9]と称し、アルセロール・ミッタル・グループ傘下になっている。2018年1月、工場近くの市街地に黒い雪が降り[10][11][12]、地元の住民たちは工場の排気が汚染を引き起こしていると主張した[13][14][15][16]。アルセロール・ミッタルのスポークスパーソンは雪の変色について取材に応え、12月に無風状態が長引き排気が滞留したことが原因であって、通常であれば汚染物質は風で吹き流されると述べた[13][15][16]。
教育機関
[編集]1963年、カラガンダ製鋼所付設の高等技術教育機関として「カラガンダ冶金学校」(後のカラガンダ州立産業大学)が開設された[1]。
公共施設と住宅開発
[編集]1970年代を通して新しいスポーツ施設が建設され、50m プール、1万5000人収容のスタジアム、アイススケート/アイスホッケーの屋内リンクなどが整備された[1]。1972年には「冶金労働者文化宮殿」が開場し、市街地の東部に「ヴォストーク遊園地」を設けたのは1978年である[1]。
1974年4月には、この都市から出征した第二次世界大戦の戦没兵士のための戦士記念碑が建てられ、永遠の灯火が捧げられた[1]。
1984年から、ボスニア・ヘルツェゴビナにある当市の姉妹都市ゼニツァに因んで、ゼニツァと命名された新たな住宅地区の開発が始まった[1]。1993年にはヴォストーク公園に新しい冬園が設けられた[1]。
スポーツ
[編集]テミルタウは、バンディのチームをカラガンダの冬季スポーツ競技会に送っている[17]。
またサッカー・クラブのFCボラートのホームタウンであり、このチームは、プレミアリーグのビリンシ・リーガに所属している。
姉妹都市
[編集]- ゼニツァ - ボスニア・ヘルツェゴビナ
- カーミヤンシケ - ウクライナ
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 独立行政法人平和祈念事業特別基金 「I 基金の概要—カザフスタン共和国及びロシア連邦に関する戦後強制抑留関係資料の所在」同法人2007年(平成19年)3月31日発表資料、3、5、13頁。 独立行政法人平和祈念事業特別基金等に関する法律第4条、同法第13条第2項に従い、カザフスタン共和国の日本人抑留について重要資料67文書を入手(年度総点数1,243文書中)。別途、通称『スターリン文書』をロシア国立社会政治史公文書館の電子データを手当てした。(総務省事業報告書の「資料の収集、保管及び展示(1) ③ 外国政府等の関係資料の収集」より一部を転記。)
- ^ 労働争議は2006年にも発生している[7]。
出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l “Town of Temirtau”. Silk Road Adventures. 2021年11月3日閲覧。
- ^ 「サマルカンドスキー【Samarkandskiy/Самаркандский】」(さまるかんどすきー)、デジタル大辞泉。
- ^ “Karmet history” (英語). www.steelonthenet.com. Karaganda ArcelorMittal Temirtau Steelworks. 2021年11月2日閲覧。
- ^ ВЕБЕР, Елена. Восстание рабочих в Темиртау в 1959 году: воспоминания очевидца Радио Азаттык. 2010年8月21日.
- ^ БОРИСОВ, Сергей. Как подавляли в 1959 году рабочее восстание в Темиртау. Очевидцы вспоминаютЦентрАзия, KZ - Среда. 2005年8月3日.[リンク切れ]
- ^ АСТАШИН, Никита Александрович. Темиртау-1959: опыт создания оперативно-войсковой группировк Военно-патриотический сайт «ОТВАГА». 2013年2月28日.
- ^ AP Worldstream. "Mittal executive says output at Kazakh mill down 30 percent due to strike." 『The America's Intelligence Wire』、2006年。
- ^ Shawcross, Philip. "23 killed, three injured in explosion at Mittal-owned mine in Kazakhstan."ISSN 0002-9998。 『American Metal Market』、2004年、112 (49-2)、p.4、
- ^ インテルファクス通信. "Lisakovsk branch of ArcelorMittal Termitau in Kazakhstan to increase output 6% in 2017”. 『Central Asia General Newswire』、コスタナイ、2017年10月13日、p.1。
- ^ Abdurasulov, Abdujalil (2018年). “Black snow blankets central Kazakh city” (英語). BBC News 2018年1月12日閲覧。
- ^ “Black snow covers Kazakhstan town - 9News” (英語). www.9news.com.au. 2018年1月12日閲覧。
- ^ “Black snow fell in Temirtau, Kazakhstan” (英語). en.egemen.kz. 2018年1月12日閲覧。
- ^ a b “Black snow covers Kazakhstan's Temirtau” (英語). akipress.com. 2018年1月12日閲覧。
- ^ “Snow is turning black 'because of pollution'” (英語). The Independent. (2018年1月12日). 有償購読 2018年1月12日閲覧。
- ^ a b “Black snow falls in Kazakhstan, with locals blaming industrial pollution” (英語). Newsweek. (2018年1月12日) 2018年1月12日閲覧。
- ^ a b “'Black snow' blankets Kazakhstan city believed to be polluted” (英語). UPI 2018年1月12日閲覧。
- ^ “Winter Sports Tournaments begin in Karaganda”. 2012年7月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。Aug 26, 2019閲覧。
関連項目
[編集]関連資料
[編集]本文の典拠以外の資料、発行順。
民族
- 半谷 史郎「ソ連ドイツ人の自治区復活運動と西ドイツ出国:戦後のカザフスタンを中心に」『ロシア史研究』第65巻、ロシア史研究会、1999年、40-56頁。ISSN 0386-9229、NAID 110001365510、doi:10.18985/roshiashikenkyu.65.0_40。
- 半谷 史郎「ソ連の民族政策における大祖国戦争の重み:1970年代のソ連ドイツ人の投書を分析する(非ロシア人から見たソ連、共通論題報告、2013年度ロシア史研究会大会)」『ロシア史研究』第94巻、ロシア史研究会、2014年、38-48頁。ISSN 0386-9229、NAID 110009817105、doi:10.18985/roshiashikenkyu.94.0_38。