テリー (DD-25)
艦歴 | |
---|---|
発注 | |
起工 | 1909年2月8日 |
進水 | 1909年8月21日 |
就役 | 1910年10月18日(海軍) 1925年6月30日(沿岸警備隊) |
退役 | 1919年11月13日(海軍) 1930年8月12日(沿岸警備隊) |
その後 | 1934年5月2日に売却 |
除籍 | 1934年6月28日 |
性能諸元 | |
排水量 | 887トン |
全長 | 293 ft 10 in (89.6 m) |
全幅 | 26 ft 1? in (8 m) |
吃水 | 10 ft 11 in (3.3 m) |
機関 | 重油専焼缶4基 |
最大速 | 30.24ノット (56 km/h) |
乗員 | 士官、兵員89名 |
兵装 | 3インチ砲5門 30口径機銃2基 18インチ魚雷発射管6門 |
テリー (USS Terry, DD-25) は、アメリカ海軍の駆逐艦。ポールディング級駆逐艦の1隻。艦名はエドワード・テリーに因む。
艦歴
[編集]テリーは1909年2月8日にバージニア州ニューポート・ニューズのニューポート・ニューズ造船所で起工した。1909年8月21日にジョージ・ヘンリー・ロック夫人によって命名、進水し、1910年10月18日に艦長マーティン・E・トレンチ少佐の指揮下就役する。
東海岸での公試に続いて、テリーは大西洋艦隊水雷小艦隊のキューバ海域における冬季作戦活動に合流した。テリーは小艦隊との水雷訓練と、大西洋艦隊全部隊との艦隊演習の両方に従事した。カリブ海における恒例の冬季演習と、ニューイングランド沿岸での春から夏にかけての作戦活動を交互に行い、1913年11月にサウスカロライナ州チャールストンでオーバーホールに入る。
入渠直後にテリーは予備役となる。作業が完了すると現役復帰し、1914年はフロリダ沿岸での巡航を行い、1915年2月に冬季演習のためキューバ海域に戻った。同年夏はロードアイランド州ニューポートで水雷演習を行い、任務を終えると母港のチャールストンに帰還した。
1916年1月1日までにテリーは縮小された駆逐艦部隊において活動していた。31日、大西洋艦隊と共にフロリダ州キーウェストに向けて出航した。5月にはサントドミンゴに向けて出航する。6月10日、プエルト・プラタ湾内での演習中にテリーは座礁し、主甲板の大半が水没した。13日にサクラメント (USS Sacramento, PG-19) 艦長指揮の下、テリーの士官と水兵が引き揚げ作業を行った。テリーは6月26日に浮上し、7月7日まで応急修理が行われた後、7月15日にチャールストン海軍工廠に帰還した。
アメリカ合衆国の第一次世界大戦参戦時、テリーはチャールストンで広範囲な修理が行われていた。作業が完了すると大西洋岸でのパトロールと、ヨーロッパ向けの商船護衛任務に従事する。1918年1月、テリーはアイルランドのクィーンズタウンを拠点とする駆逐艦部隊と共に作戦活動に向かった。敵潜水艦が横行するイギリス諸島海域でテリーは船団護衛に従事した。クィーンズタウンにおけるテリーの任務は平穏なものであった。護衛した船団の1隻が潜水艦によって沈められたことはあったが、ドイツのUボートを観測することはなく、戦闘にも遭遇しなかった。1918年3月19日、マンリー (USS Manley, DD-74) が触雷した際、テリーは負傷者の支援を行った。
1918年12月、テリーはアメリカへ帰還した。11ヶ月に及ぶ限定就役状態の後、1919年11月13日にフィラデルフィア海軍工廠で退役した。
フィラデルフィアで保管された後、テリーは1924年6月7日に沿岸警備隊に移管され、ニューヨークを拠点とするラム・パトロールに加わった。
1930年10月18日にテリーは海軍に返却され、退役状態のまま海軍籍に復帰した。1934年5月2日、テリーはスクラップとして売却された。その後1934年6月28日に除籍された。
外部リンク
[編集]- Mare Island Navy Yard - 1928. Elbridge Ayer Burbank pencil sketch.
- navsource.org
- この記事はアメリカ合衆国政府の著作物であるDictionary of American Naval Fighting Shipsに由来する文章を含んでいます。