コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

テレサ・デ・レオン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
テレサ・デ・レオン
Teresa de León

称号 ポルトゥカーレ伯
出生 1080年
死去 1130年11月11日
ガリシア、サンタ・マリーア・デ・モンテデラーモ修道院
埋葬 ポルトゥカーレ伯領ブラガ大聖堂
配偶者 ポルトゥカーレ伯エンリケ
子女 ウラカ
サンチャ
テレサ
エンリケ
アフォンソ1世
家名 ヒメノ家
父親 カスティーリャアルフォンソ6世
母親 ヒメナ・ムニョス
テンプレートを表示
テレサと夫ポルトゥカーレ伯エンリケ(1530年代画)

テレサ・デ・レオンポルトガル語表記:Teresa de Leão, スペイン語表記:Teresa de León, 1080年 - 1130年11月11日)は、ポルトゥカーレ伯エンリケの妃。カスティーリャアルフォンソ6世と愛妾ヒメナ・ムニョス(シメーナ・モニス)の間に生まれた庶子[1]

生涯

[編集]

1093年、レコンキスタに参加してイベリア半島へ来ていたエンリケと結婚した[2]。ポルトゥカーレ地方は彼女の持参金の一部で、それによりエンリケはポルトゥカーレ伯となった。

最初、夫エンリケはアルフォンソ6世の臣下であったが、アルフォンソ6世が1109年に亡くなり、嫡女のウラカが王位につくと、領土拡大の野望のためにレオンに侵攻した。エンリケは1112年に死に、テレサは自身と子供たちの保身に努めた。

亡夫との間の息子アフォンソ・エンリケス(のちのポルトガルアフォンソ1世)が伯領を継承したため、テレサはまだ幼いアフォンソを後見した。彼女は摂政として伯領の支配にあたったが、モンデゴ川から遠くないためにムーア人の再征服に脅かされた。

1116年、領土拡大の野望は息子アフォンソに引き継がれ、テレサは異母妹ウラカと戦った。ポルトゥカーレ、レオン両国軍は1120年に再び会戦した。1121年、テレサは包囲され、カストロ・デ・ランホソ(現ブラガ県の町)で拘束された。これにサンティアゴ・デ・コンポステーラブラガの両大司教が仲介に入り、和平が交渉された。テレサは解放されたが、ポルトゥカーレ伯領はレオン領になった。

テレサは、アフォンソが成年に達しても伯領支配権を取り戻そうとした。5年以上、彼女は愛人のトラバ伯フェルナンド・ペレスと豪勢な暮らしをしていた。これらの振る舞いが、アフォンソや外国出身の十字軍参加者である貴族ら大多数の離反を招いた。1128年、親政を宣言したアフォンソによりテレサの軍はギマランイス近郊で打ち負かされ、身柄を拘束された。テレサは身分を剥奪され、ガリシア修道院へ入れられた。

子女

[編集]
  • ウラカ(1095年頃[3] - 1169年以降) - ベルムド・ペレス・デ・トラバと結婚、子女あり[4]
  • サンチャ(1097年[3] - 1163年) - ブラガンサの騎士サンチョ・ヌネス・デ・セラノバと結婚し、ベラスコ、ギル、フェルナンドおよびテレサの母となった[5]。最初の夫の死後、フェルナンド・メンデス・デ・ブラガンサと再婚したが、子女はいない[6]
  • テレサ(1098年生)[3]
  • エンリケ(1106年 - 1110年)
  • アフォンソ1世(1109年[7] - 1185年) - ポルトガル王(1139年 - 1185年)

また、トラスタマラ領主フェルナンド・ペレス・デ・トラバ英語版との間に2子が生まれた。

脚注

[編集]

参考文献

[編集]
  • Rodrigues Oliveira, Ana (2010) (ポルトガル語). Rainhas medievais de Portugal. Dezassete mulheres, duas dinastias, quatro séculos de História. Lisbon: A esfera dos livros. ISBN 978-989-626-261-7 
  • Barton, Simon (2015). “Spain in the Eleventh Century”. In David Luscombe, Jonathan Riley-Smith. The New Cambridge Medieval History: Volume 4, C.1024-c.1198. Part II. Cambridge University Press 
  • López Morán, Enriqueta (2005年). “El monacato femenino gallego en la Alta Edad Media (Lugo y Orense) (Siglos XIII al XV)”. Nalgures (A Coruña: Asociación Cultura de Estudios Históricos de Galicia) (II): pp. 49-142 (vid pp. 88-89). ISSN 1885-6349. http://www.estudioshistoricos.com/wp-content/uploads/2014/10/nalgures2.pdf 
  • López-Sangil, José Luis (2002). La nobleza altomedieval gallega, la familia Froílaz-Traba. La Coruña: Toxosoutos, S.L.. ISBN 84-95622-68-8 
  • Sotto Mayor Pizarro, José Augusto (2007年). “O regime senhorial na frontera do nordeste português. Alto Douro e Riba Côa (Séculos XI-XIII)”. Hispania. Revista Española de Historia (Madrid: Instituto de Historia "Jerónimo Zurita"; Centro de Estudios Históricos) LXVII (227): pp. 849–880. ISSN 0018-2141. http://hispania.revistas.csic.es/index.php/hispania/article/view/64/64 
  • Torres Sevilla-Quiñones de León, Margarita Cecilia (1999). Linajes nobiliarios de León y Castilla: Siglos IX-XIII. Salamanca: Junta de Castilla y León, Consejería de educación y cultura. ISBN 84-7846-781-5